LAに行った仲間から、色々クランプに関して映像を見せてもらったり、熱く語ってもらったりしたのが、関心を持った始まりだね。もちろん、踊りの持つエネルギーもいいけど、クラウンの人たちが子供と踊ってるシーンとか、クランプをやってる子たちと、アフリカとのつながりを感じさせるシーンは、ダンスだけじゃなくて、あれが自分たちのルーツで、そういう意味があってやってるんだっていうところは面白かったな。クラウンはキリスト教だけど、ストリートをやってる精神は、ダンスを通じて皆同じように感じてると思うし、すごく共感できた。
ダンスは理屈じゃない。身につけたスキルで怒りを表現していて、そこから、彼らの生き様が伝わってくる。あの映画は、クランプは腕がこうで腰がこうで…みたいなスタイルのことを言ってるわけじゃないんだよね。 昔から皆クラウンのクルーの人たちに習っていて、元々踊れてうまいやつらが日頃のマイナスな感情や怒りを表現できてるから芸術的に見えるんだよ。例えばラッパーだったら言葉のスキルを持って韻をふんだり、歌も、画家も、小説家も同じ。そこに技術があるかないかだけ。彼らは技術があるからこうやって芸術になったけど、踊りの技術のない奴がただ暴れても「なにやってんの?」ってなる。やっぱり、しっかりとした踊れる子たちが暴れるから、その怒りがエネルギーとなって伝わってくると思うんだよね。
「上昇しよう」っていう精神はいいと思うんだ。この精神って、奴隷の時代からいまだに続いている、アメリカの黒人の中には根強くあるもんなんだよね。若い子たちはパワーがあるし、皆を楽しませるクラウンの精神は好きだよ。サウスセントラルの事情はよくわからないけど、彼らが創った文化を追及して、自分の生き方として向上させていくっていう捉え方が表現された一つの形を、この映画の中で見ることができたね。
すごくシビアな話になると、ヒップホップができてブレイクダンスが誕生した時も、“自分たち黒人の為にも、俺たちはギャングなんかにならなくてもダンスで生きていける”っていう似た思想があったんだ。クランプが注目されて、PVに使われたり、きれいに加工されたモノになって普及するっていう流れも、ブレイクダンスの時と一緒。だから、ある意味、彼らはこの映画を通じて、現代社会の中で「RIZE」する事ができたんじゃないかな。それが現実だと思うよ。社会情勢が絡むからね。ポッピンができた時もベトナム戦争が背景にあるし…。
黒人社会の精神で言う「RIZE=這い上がる」っていう環境は、日本にはないね。だって平和だから。だから「這い上がる」というよりは「向上する」になるんだよ。それは頑張っている人はみんな持っている精神だと思う。俺のダンスの向上心は、やりたいことがあって、それが実現してないから、実現するまでやりたいんだよね。自分の踊りに関してはキリがないけど、理想があるから、それに近づいていきたいし、そういうのはまだまだたくさんあるからね。