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TDM Special イベントプロジェクトチーム「feelin’」特集 3/3
TDM Interview feelin’代表 U-KI (2/2)

憧れの存在…YUKI(S.C.S)熊本出身ダンサーに影響

TDM:
ではここからダンサーU-KIさんについて。まず、ダンスを最初に始めたきっかけを教えて下さい。


U-KI :
ダンスを始めたきっかけは、地元の熊本で、藤本一精さん(※)っていう方に習ったのが最初です。一精さんはもともとYUKIさん(SOUND CREAM STEPPERZ)の師匠でもあるんですけど、2人は昔“ST JAM”っていうチームで、熊本で目立っていました。僕はダンスが好きだったし、彼らの存在が気になっていたので、一精さんに話しかけにいって、それからどんどんダンスにハマッていったという感じです。

僕が一精さんに習い始めた頃、YUKIさんは既に福岡でBE BOP CREW(以下文中BBC)のYOSHIBOWさんやSEIJIさんたちのそばにいて、輝いていました。YUKIさんは当時21・2歳くらいだったと思いますが、その頃から熊本の本当にカリスマ的存在で、おそらく当時の熊本のダンサーは、全員YUKIさんに憧れてダンスを始めたと思います。そのくらい影響力があって、かっこよかったです。

※藤本一精…現在は熊本・福岡を中心にテレビ・ラジオ・イベント司会・ダンスショーなど幅広く活動スタジオの経営も行い、現役のインストラクターでもある。

TDM:
YUKIさんの魅力ってなんだと思いますか?


U-KI :
う〜ん、ダンスのセンスですかね。何とも言えない、あのちっちゃい体から出てくるグルーブが人を魅了すると思います。そこにすごく憧れていました。当時YUKIさんはSEIJIさんたちと「SOMETHING SPECIAL」っていうチームをしていて、福岡までショーを観にいっていましたよ。ショーを観て勉強して、それからビデオを持って帰って来て、また熊本で練習するっていう感じでしたね。それが僕がハタチくらいの時。そうこうしていると、YUKIさんと今のDJ MASAKOさん、SUSUMUさん、SOさん、TAISHIさん、HIROSHIさんの6人で伝説のチーム「DE LA DANCE」が結成されて、一度東京に出てきたんです。皆で一緒に部屋を借りて5人で住んでいたらしいです。1年半くらい経って、YUKIさんとMASAKOさんは東京に残りました。その後YUKIさんはSAMさんと組んで「GQマシーン」※になり、「MEGA MIX」※、そして「TRF」※になっていった時期です。

※GQマシーン…東京BE BOP CREWを母体とし、後のMEGA MIXの前身。現TRFのSAM とCHIHARU、OZ、BEAT、HIROKO(石川浩子)、KAORU(原田薫)によって構成。

※MEGA MIX、TRF…後の「TRF」の前身。TV「Dance! Dance! Dance!」(フジテレビ 1990〜1992年放送)をきっかけに90年結成。メンバーは流動的に変化するがSAM、OZ、JUN、OHJI、EIJIらが初期メンバーとして知られ、その後第2期としてYUKI、GOTO、HORIE、SANCHE、CHIHARU、ETSUらが加入。ちなみにTRFはデビュー時、ボーカルのYU-KI、DJのKOO、ダンサーのMEGA-MIX(8人)による10人編成だった。(OZ氏インタビュー参照。)


熊本→福岡→熊本→東京

U-KI :
僕らはそんなYUKIさんがとても光って見えました。成功している地元の先輩を田舎からとても羨ましく見ていて、僕は同じ道を歩みたいと思って、福岡に行ったんです。そこでYOSHIBOWさんに「BE BOP CREWに入りたいです」って言って、そばで活動させてもらえるようになりました。そこに若かりしSETO君がいて、2人で「ギャング」っていうチームを作りました。ダッセー名前ですよね(笑)。主にコンテストとかに出ていましたけど、一回も輝かしい成績はなかったですが、一緒に下積みを積んできたことはよく覚えています。

その頃も、YUKIさんと一緒に行動しているわけじゃなかったけど、僕はやはりずっとYUKIさんの存在を常に気にしていました。26歳くらいの時に、人生を考えるわけです。まっすぐだった自分がある程度大人になってきて、心が折れそうになる時期が。でも、親も友達でさえもダンサーである自分を応援してくれなかったですね。そこで壁にぶち当たって一回熊本に帰ったんです。その間、SETO君はずっと福岡で頑張っていて、僕はダンスを続けてはいたんだけど、地元の子たちとコミュニケーションを取っていました。そうして1年半くらい経って、やっぱりダンスをやめられない自分がいました。「もう一回一からやりたい」と思って、次は福岡に戻らずに東京に行ったんです。

YUKIさんに「東京に行こうかと思うんですけど、行っていいですかね?」って電話したら「うん、来たらいいんじゃない?」って軽い感じでした(笑)。でもそういうキャラの人ですし、別に僕はYUKIさんにどうこうしてほしいと思っていたわけではなくて、ただ憧れている人がいるんだし、とりあえず行こうと思って上京しました。案の定YUKIさんは「あ、来たんだー」って普通な感じでしたけど(笑)。


ダンスの社会的地位の向上を目指したい  

TDM:
今後ダンスシーンのビジョンはありますか?


U-KI :
ちょっとスケールがでか過ぎるかもしれないけど、ダンスの社会的地位の向上かな。ダンスの組合とかできるといいのかなって思います。子供たちがダンサーになることを、親が応援したり、ダンサーとして胸を晴れるような環境にしたいですね。例えばダンスに賞金が出るイベントが最近増えてきてるけど、高額になれば賞金だけで生計が立てられるダンサーが出てくるかもしれないし、スポーツの世界みたいな協会があれば、協会にその活動が守られる。1人では動かせないことが、本当にダンスをやってる人全員がしっかりと手をつなげば、社会的な向上ができると思うんですよね。ただ、ダンサーがまとまりづらい人種なので相当難しいし、苦労すると思います。色んな反発もあるでしょうね。でも俺たちは今、そういうものが必要だと思って活動していますね。


気持ちのブレないダンサー

TDM:
U-KIさんの考えるプロフェッショナルなダンサーとは何ですか?


U-KI :
ダンスのプロって何だろうってよく考えるけど、わかりにくいですよね。ひとつのことに時間を惜しまずに使えて、気持ちがブレない人はプロに通じると思います。例えダンスだけで食べていなくても、気持ちがブレていない奴を見ると、「あ、コイツはプロだな、かっこいいな」ってリスペクトしますね。

TDM:
ブレないダンサーを育てたいと思いますか?


U-KI :
というよりも、ダンサーたちの気持ちがブレない環境を作りたいですね。野球界のイチロー選手や松井選手を子供の頃から目指して頑張れば、気持ちはブレにくいと思うので、ダンサー界にもそういうスターが必要だと思うんです。どうやって作ったらいいかはわからないけど、そういうのがあればダンサーの未来はいい方向に向いていくんじゃないかなって思います。

TDM:
トウキョウダンスマガジンの読者の皆様にコメントをお願いします。


U-KI :
今回この記事を最後まで読んでくれて有り難うございます。僕等feelin’=BREAKYDElicはダンサーの社会的地位の向上に真剣に取り組んでいきたいと日々考えています。

「ダンサーはお金にならないでしょ」、「ダンスはビジネスにならないでしょ」、「どうせ遊びの延長でしょ」、「親が反対するんですよ」…こういった今の状況を少しでもよくして、社会がダンサーを羨むような状況にしていきたいと考え、行動しています。日本のダンサー人口は年々倍増し続けているそうです。ダンスを好きな人同士が手を取りあってひとつの大きな力になれたとしたら、その時本当にダンサーにとっての理想の社会が訪れる気がします。

その年代によってできることや、やらなきゃいけないことがあると思っています。僕らfeelin’=BREAKYDElicは今ダンスを一生懸命頑張っているダンサーや、今後ダンサーを目指す子供達に夢を与えてあげられるような環境を作っていきたいです。ただそれだけです。なんか政治家の演説っぽい感じでごめんなさい(笑)。

TDM:
いえいえ。今日は本当にありがとうございました。

※文中敬称略
Interview by AKIKO(TDM STAFF)
Special Thanks for feelin’
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