70年代後半になると、それまでJazzFunkスタイルで踊っていたダンサー達はFusionやLatin Trackで踊るようになり、80年代に入るとよりヘヴィな音を求めるようになった。この時期にBE-BOPダンスシーンが徐々に確立されていく。但し、それらの音楽が、あまりにもアグレッシヴで速すぎたため、多くのクラバーにとって容易に踊ることは難しかった。そのために、これらが主な要因としてBE-BOPシーンは一度アンダーグラウンドにもぐってしまう。そんな中、ロンドンでポール・マーフィーが、BE-BOPシーンの真の発祥の地Electric Ballroomでジャズイベントをスタート。ハードコアなBE-BOPダンサーのみが集まる、それは最もへヴィで最も妥協を許さない空間となった。アグレッシブなJazz Fusionの音楽にあわせて、BE-BOPスタイルの高速のステップや、さまざまなBE-BOPスタイルが生み出されたのは、まさにこのElectric Ballroomだった。 |
Electric Ballroom
クラブのイメージ画 |