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BE-BOP "UK JAZZ DANCE STYLE"  〜The True Underground〜
”BE-BOP”イギリスではそれを「JAZZ DANCE」と呼んでいる。BE-BOPのルーツは40年代のFastSwing、50年代のHard Bop、70−80年代のFusion、そしてすべての時代を通じてラテン音楽で踊る人達にある。70年代後半、イギリス南部で活躍していたDJクリス・ヒル、DJポール・マーフィー、北部のDJコリン・サーティスらが、クラブでJazz Fusionレコードをピックアップし、かけたことから、イギリス各地にUKジャズシーンは広まった。フロアで踊るダンサー達のために音楽は絶えず探求されつづけ、より速く、より深くなっていった。こういった革新的なDJ達のいるクラブで、BE-BOPスタイルのダンスが誕生した。 ※Fast Swing、Hard Bop、FusionはJazz Musicの中でもテンポの早い音楽の特性を持つ。

70年代後半〜80年代中期 BE-BOPシーン
70年代後半になると、それまでJazzFunkスタイルで踊っていたダンサー達はFusionやLatin Trackで踊るようになり、80年代に入るとよりヘヴィな音を求めるようになった。この時期にBE-BOPダンスシーンが徐々に確立されていく。但し、それらの音楽が、あまりにもアグレッシヴで速すぎたため、多くのクラバーにとって容易に踊ることは難しかった。そのために、これらが主な要因としてBE-BOPシーンは一度アンダーグラウンドにもぐってしまう。そんな中、ロンドンでポール・マーフィーが、BE-BOPシーンの真の発祥の地Electric Ballroomでジャズイベントをスタート。ハードコアなBE-BOPダンサーのみが集まる、それは最もへヴィで最も妥協を許さない空間となった。アグレッシブなJazz Fusionの音楽にあわせて、BE-BOPスタイルの高速のステップや、さまざまなBE-BOPスタイルが生み出されたのは、まさにこのElectric Ballroomだった。
Electric Ballroom


クラブのイメージ画
Electric Ballroomでの基礎的なJazz Fusionステップの中に日本でもよく知られるステップ“コックローチストンピング(あるいはクラッシング)”がある。足をツイストさせる格好がゴキブリを踏み潰しているポーズに似ているからだ。そしてステップのバリエーションは”footing”または”tappers”として知られるようになり、当時の新しい若いダンサー達、特に黒人達はハマっていった。そして再びイギリス各地でJazzのイベントが始まり、BE-BOPスタイルのダンサーが急増し、BE-BOPシーンが一気に拡大していく。
1986年、ついにBE-BOPシーンは絶頂期を迎え、ダンサー達はイギリス国内で5000人を超えていた。また多くのBE-BOPダンスチームが誕生したのもこの頃だった。伝説的ジャズイベント”Dingwalls”や”The Wag”では、Jazz、Latin、Brazile、Fusionが流され多くのダンサー達に愛された。この時期、DJ達は50〜60年代の過去のテンポの速いJazz Trackを発掘するようになる。そしてイギリスのクラブでBE-BOPスタイルのJazz Musicが熱狂的なクラブシーンを席巻していく。アグレッシヴなダンサー達は、よりな曲をまわすDJのもとにとどまり毎夜熱いダンスバトルを繰り広げていた。
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