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海外公演特集 Part2 中西幸子 〜 面白い、を世界と。 〜
中西幸子
ストリートダンスシーンにおいても、演出された作品が評価を受ける様になってきたことや、自主公演の開催で舞台作品の世界に近くなってきたことと、舞台の業界がストリートダンサーを求めてきたからこそ中西さんと出会えたのだろう。

去年行われた、神奈川芸術劇場、通称KAATでのストリートダンスフェスティバル仕掛け人の彼女だが、元々まったく畑の違う人間が、HIROやマシーン原田氏、宮田健夫氏と組み、ひとつのフェスティバルを形にしたことはとても意味深いと思う。今回のインタビューでも彼女から「海外交流基金・助成金」というワードをよく聞くが、そういったシステムや申請方法などをストリートダンス業界の人たちは無縁だったのだから。

もちろん、世界的なバトルやコンテストのシーンも活気があり、スペシャリストは国内外関わらず活躍しているけれど、団体の作品を世界に持っていくことはそれ以上に難しいだろう。公演作品は勿論テクニックも必要だが、それ以上に観客を魅了する演出・脚本・構成といった要素も重要になってくる。7月22日に開催されるUPPER FIELDでも海外公演実現への力になってくれる中西さんからもらった言葉に耳を傾けてもらいながら、ダンス王国・日本を世界へアピールしていこう!

中西幸子中西幸子

1980年玉川学園女子短期大学卒業。舞台招聘公演の企画制作会社カンバセーションでの28年間の勤務を経て、2011年より株式会社パルコ エンタテインメント事業部所属。


ビッグチャンスとのつなぎ役。

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中西さんの海外で日本のアーティストを紹介する初仕事は何でしたか?

中西

最初は、東京スカパラダイスオーケストラ(以下、スカパラ)。結成後初めての海外ツアーを手がけました。確か1992年だったと思います。

公演は、フランスの3都市パリと、南西のボルドーの隣にあるアングレムと、プロバンス地方で闘牛が盛んなニームで開催されました。

アングレムでは約40年に渡って開催されているジャズとワールドミュージックのフェスティバルミュージックメティスに招かれたのです。

またニームでは5万人の観衆で埋まった闘牛場に地響きのような歓声で迎えられ、本当にエキサイトしました。スカパラは、日本では既にメジャーになっていましたが、フランスではすべての要求が通るわけではなく、こだわりながらも工夫をする協議を重ねました。その経験が、以降の活動の自信に繋がってくれていたらと思います。

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スカパラが招かれた経緯は?

中西

私たちの主な仕事は、海外から舞台公演を招聘することです。特にフランスとの仕事が多かったですね。なぜならフランスの国民は、文化にお金を使いますから。1990年から、ロック大臣の呼びかけでフランスの政府と公的基金からの支援を受け、日仏のロックとポップスを紹介する“フェスティバル春”を開催しました。

ひと言に文化と言ってもさまざまですが、舞台公演では80年代までオペラやバレエ、フランス文学の芝居などのいわゆる『権威のある芸術』が、国の支援の対象でした。ミッテラン政権時代に文化大臣ジャック・ラングが、「将来の納税者たちに人気があるものも応援しないと、税金を払わなくなる。」と、ファッションやジャズ、ポップス、ロック、映画などのいわゆる『サブカルチャー』に対しても積極的に支援する政策をとりました。海外公演を助成することによって、外貨を稼いでもらう、つまり重要な輸出産業となったのです。

2年目から「どうせだったら一方通行ではなく、日本のアーティストもフランスに紹介しよう」ということになりました。第一弾のスカパラは、“日本にも不良がいた!”と新聞の一面に紹介されるなど,話題になりました。

中西幸子同じフェスティバルの枠で、アコーディオニストのcobaが、ロンドンで公演をしたとき、100人くらいのクラブにお客さんが15〜6人。そのうちの数人にやたらに受けて。その中のひとりがビョークでした。

それがきっかけで、cobaは、ビョークのワールドツアーに参加し、数十ヶ国で公演を行いました。このような成果は、プロモーター冥利に尽きますね。

海外公演に向けたアンテナのはり方。


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今後ストリートダンサーが1時間くらいの作品を創れるようになっていったとき、海外公演ができる機会をつかむためには、何が必要になると思いますか?

中西

1時間の舞台作品を作るのはとても大変なことなので、15〜20分の短編からはじめるほうが現実的です。

ヒップホップの作品、いわゆるストリートダンスを取り入れた舞台作品の公演が盛んなフランスを例にとると、20年くらい前から設備の整ったホールで、ヒップホップ作品が徐々に紹介されはじめました。バレエの観客は高年齢化で頭打ち。コンテンポラリーダンスも客層は固定化していて、ストリートダンスは若者の特権。そんなときストリートからステージへ面白い作品が出はじめたのです。

テクニックだけではなく、演劇的な表現や構成力もある作品です。ダンス愛好家の将来を考えると、これからのダンス業界を活性化するのはストリートダンスしかないと期待がかかり、公共ホールがリハーサルスタジオや劇場を開放したりして、積極的な支援が行なわれるようになりました。

舞台公演は、ある程度環境が整っていないと良い作品が創れません。フランスでは、早くから国や自治体が、実際にきちんとお金を使ってサポートする体制ができたから、面白いステージ作品が創れるのだと思います。

中でもヒップホップ作品にいち早く注目したのが、パリ郊外にあるスーレーヌ市文化会館館長のオリヴィエ・メイヤー氏でした。ヒップホップ作品のフェスティバル、ダンス王国という意味のシテ・ドゥ・ラ・ダンスを立ち上げ、毎年1月に1ヶ月間開催していて、ちょうど今年20周年を迎えました。

5年程前、友人の国立劇団コメディーフランセーズの役者が、いま一番面白いステージと推薦してくれたのが、シテ・ドゥ・ラ・ダンスで上演中のヒップホップ作品“ロミオとジュリエット”でした。実際に足を運んでみて、作品の面白さとお客さんの多様性にすごく感心しました。

その劇場では、このフェスティバルの他、パリオペラ座のバレリーナたちによる作品をはじめ、世界の第一線で活動するさまざまなダンス公演が開催され、観客も目が肥えています。その公演はソールドアウトで、満場の観客は、出演者たちに大きな喝采を送っていました。公演終了後の館長との話の中で、ステージ作品であれば、日本のものにもとても興味があって、でも、まずは長編ではなく、最大20分程度のものを紹介したいと言ってくれました。

そのフェスの場合ですが、新人はまず15〜20分程度の作品でデビューし、それが成功して初めて、制作費が援助されて、出演料をもらえるようなしっかりした作品を作って、世界に出て行くわけです。まさにヒップホップダンスの登竜門です。

館長がダンスの目利きとして有名なので、ここでかかるものは高い注目を集めます。メディアにも話題になります。広報担当が新聞から雑誌、インターネットまでくまなくあたり、特集記事をとってきます。フェスティバル終了後は、厚さ3センチくらいのプレスブックにまとまります。プログラムはその質の高さで観客の信頼を得ていて、ダンスに興味がある人はみんな観に来るんです。

観客はドレッドの若者から黒っぽい服を着たオタク、オペラやミュージカルなどさまざまな公演を観てきた品の良い老夫婦まで、いろいろな層の人達が集まります。面白いものに対しては惜しみなく拍手を送り、逆に、つまらない作品にはブーイング、作り手と観客が良い関係になっています。

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そういうところで作品を出していくためには、何をどこで頑張ればそういったチャンスが巡ってくるのでしょうか?

中西

まず、観るに耐える舞台作品をちゃんと創ること。

いわゆる競技会ではないので、ダンスのテクニックだけではなく、ドラマ性、音楽、照明、舞台空間の使い方など総合的に構成された作品を制作する必要があります。

前述のフェスティバル出演者は、デビュー作品で評価を受ければ、チャンスをつかんで翌年はフランス国内で、2〜3年後にはヨーロッパ中を回っています。近年ヨーロッパの大きなダンスフェスティバルでは、コンテンポラリーやバレエと同等に、ヒップホップ作品もきちんとした位置づけの中で紹介されています。大小数多くありますから、それをチェックするのもひとつの方法ですね。

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日本にいる場合は?どこで何をしたらチャンスをつかむまでの過程を踏めるのでしょうか。

中西

一番の近道は、ブッキングの決定権をもつプロデューサーに実際に公演を観てもらうことですね。ダンスってやっぱり、DVDでは伝わりにくく、実際に観ないとわからないですから。

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そういう方たちって日本に来る機会ってよくあるのですか?

中西

毎年秋に開催されるフェスティバル/トーキョー、期間中は海外から劇場のプロデューサーやフェスティバルのオーガナイザーが、日本やアジアの作品をブッキングするために、東京に集まります。主に演劇のフェスティバルなのですが、ダンス作品も紹介されています。

フェスティバル/トーキョーは、国内外の10作品程度が、フェスティバル主催の公式招待公演です。また、今年は既に締め切りましたが、公募プログラムで選抜されれば、池袋のシアターグリーンを無料で借りられたり、他のホールでも条件付きながらサポートが受けられ、チラシにも演目がきちんと紹介されます。

他には提携プログラムがあります。提携といえども公演内容は吟味され、ハードルは高いですが、チラシにラインナップのひとつとして紹介されます。チラシは数十万枚配布されますので、国内外のさまざまなメディアや舞台芸術関係者の目に触れられる機会が多いです。

他には3月に開催されるTPAM。東京舞台芸術見本市も規模は小さいながら、海外の著名なフェスティバルのディレクターや劇場のプロデューサーが招聘されます。TPAMをきっかけに、DAZZLEに、マレーシアのフェスティバルの主催者から公演の打診がありました。

あとは、普段から自分達の公演に国際交流基金の担当者を招待するとか。いずれトウキョウダンスマガジンがそれらコンタクトの情報センター的な役割を担えると良いですね。本来は公共機関の役割ですが、ヒップホップ公演については情報がなく、それを待っていたら時間がかかりますから。

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前回DAZZLEの浩一郎君に話を聞いたところ、ほとんど自費で海外に行き公演していると言っていました。

中西

海外では、商業的に成功しているアーティストは別として、正式な招待を受けると、国が旅費のサポートをしてくれる場合が多く、それを基準にその国までの渡航費は出演者が工面し、到着後の経費は主催者が負担するという条件が提案されるわけです。

日本では、国際交流基金や、招かれる国によっては日本財団に海外公演への支援プログラムがあります。それぞれ制約がありますが、そういう制度を利用すべきです。

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なぜ日本は国からダンス公演への助成金が出る仕組みができてないのでしょうか?

中西

中西幸子まずは、国内でもストリートダンサーが舞台作品の公演を行うことはごくまれにしかないですよね。海外の出演先も主に競技会なので、舞台公演でなければ助成金の対象にならず、実績がないのも事実です。

ダンスでもコンテンポラリーやバレエ、伝統舞踊には、助成金がでていますが、ヒップホップ作品に対しては、ほとんど前例がないのでしょう。一般的に海外公演に限らず、支援体制が薄いのは、文化があまり重要な産業じゃないからでしょうか。

自動車の会社が倒産の危機に瀕したら国がサポートしますが、文化が稼ぎ出すパーセンテージは微々たるもの。ヨーロッパやお隣の韓国では、国や自治体が5〜10%の文化予算を割いて、重要な産業に位置づけていますが、日本では1%にも満たないです。

でも、その状況もアニメや映画のおかげで少しずつ変わって来ています。今までは文化政策は国際交流基金や芸術文化振興基金が担っていましたが、最近は、外国人観光客を増やすために国土交通省や一部自治体も、またソフト産業輸出のために経済産業省も、海外で日本の紹介する事業を支援しています。さまざまな視点でさまざま省庁が文化を使って日本をプロモーションする、それはとても良いことですね。

行灯、馬、クモ…忘れられない海外エピソード。


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海外とのお仕事を始めてから、思い入れの深かった出来事はありましたか?

中西

中西幸子エルメスのバーキンバックで知られているジェーン・バーキンが、昨年震災直後の4月に復興支援のためフランスから空っぽの飛行機に乗って自費で来日してチャリティーコンサートを行いました。 彼女の声には多くの人が勇気づけられました。本当にありがたかったです。

また先日、日本のお祭りをフランスに持って行きました。富山の夜高祭りで、ねぶたのような行灯のパレードです。リヨンの夜空に美しい行燈が灯り、沿道で何十万人の観衆に温かい歓声に迎えられ、感激しました。

ひとつが2〜3トンの山車を5台、船で運んだんです。富山から60人が、現地ボランティア200人と一緒に、リヨン市街地2キロをパレードしました。

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すごい!それはどうやって実現させたんですか?

中西

中西幸子もともと、夜高祭りのことは友達から聞いて知っていました。道幅や路面電車のケーブルの高さなどの条件を考えたとき、青森のねぶただと通れない、そこで夜高祭りの地元の友人に、フランスでやりませんかと連絡しました。

パレードが行なわれたのは、フランス第三の都市リヨンで、毎年12月に開催されるフェスティバル“光の祭典”です。4日間で300万人が訪れました。

私たち以外は映像作品やインスタレーションがほとんどでした。光り輝くオブジェから、最新鋭の映像機器を使ったデジタル作品、市庁舎前広場の三方を囲んだ建物の壁面を馬が走り回ったり、巨大なピンボールを教会の正面に投影して、コントローラーでゲームを楽しむなど、大小70作品くらいのが紹介されました。

夜高祭りの起源は、約360年前、富山の福野町ができてすぐ、大火事で町が全焼してしまったんです。そこで、もう二度とそういう災厄が繰り返されないようにとの願いを込めて、伊勢神宮から神様を分霊して頂きました。福野町へお迎えする途中、県境の倶梨伽羅峠で日が暮れて、行灯を提げてご案内したのがはじまりです。

かたや、光の祭典は、リヨンで160年位前に疫病が猛威をふるい、やがてそれが鎮まったとき、信神深い民衆が、丘の上のマリア様に御礼をするために、家々の窓辺にろうそくを灯したのが発祥で、毎年12月8日の前後4日間で光にまつわる祭典をすることになりました。2つのお祭りの成り立ちはとても似ています。

富山の人たちが1台に10〜15人ずつ、更にフランスのボランティアの人達も30〜40人ずつついて、5台の行燈を総勢200人で押しながら練り歩いたんです。日本語で「よいやっさー!」の掛け声が街に響き、本当に心温まる光景でした。共に力を出し合った、いいフェスティバルでした。

ジンガロ ちなみに、これは観たことがありますか?馬が25頭、人間が60人。

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あ!ジンガロ!知っています。観たいと思っていました。

中西

しばらくは来日しないと思うので、機会があればヨーロッパに観にいってみてください。

演出家バルタバスが主宰する馬が主役の劇団です。2005年に初来日、15年がかりでようやく実現した公演でした。馬の輸入がとても大変で、2003年にようやく具体化の目処がたってから2年間の開催準備期間中は、馬関係者以外とは話をしなかったんじゃないかというくらい毎日が馬だらけでした。

こちらは、馬についてはド素人で、農林水産省へ行っても、システムは愚か、用語も全然わからない。言われたことを一言一句メモして東大助教授のところに直行し、「これはこういうことだから、このように返答しなさい」といちいち翻訳して助言をもらうということをやっていましたね(笑)。東大にはこんなできの悪い生徒はいないので、先生は本当に大変だったと思います。

出演する馬に、フランスでは病気と見なされないけれど日本には存在しない感染症の疑いがあって、この馬がいないと公演ができないと釘を刺されていた主演の馬が検疫でひっかかり、入国不可。農林水産大臣にいろいろ条件を提案し直訴しましたが、「法律なので、だめなものは絶対にだめです。」とあっさり。ジンガロは10数億の事業で、劇場も建ってるし、チケットも売れていました。

劇団に報告を終えて、「これで、私たちも終わりだね・・・明日からどうしよう・・・みんなにどうやって謝ろうか・・・」と、上司と午前2時くらいにやけ酒を飲んでいました。そこに、バルタバスから、いくつかの条件が満たせれば、検疫をクリアした馬だけで公演ができるように手直しすると電話がありました。最高に嬉しくて飛び上がりましたが、翌日からの3日間はもう夢中で、いろいろな許可を取るのに徹夜で奔走して、たくさんの人の善意と協力で、何とか条件をクリアしました。あれは相当の修羅場でしたね。

検疫所から会場に到着した馬たちが馬運車から降りて来たときには、涙が出ました。

機械仕掛けのクモ そして、これは40トンの機械仕掛けのクモです。

2009年、横浜開港150周年記念事業の目玉として、フランスのラマシンという劇団が製作した40トンの機械仕掛けの蜘蛛を2台招きました。みなとみらい一帯の街が巨大な劇場になるというコンセプトで、公演が行われました。異国から未知なものがやってきて、最初は諍うけれど、やがて違いを理解して友情の絆で結ばれるというストーリーです。

そのために、2台の蜘蛛とフランス人スタッフ75名、日本人スタッフ100名が山下埠頭で、警察、消防、海上保安庁が見守る中、1ヶ月間リハーサルをしました。

でも日本の道路って人や車以外の、しかも高さ13メートルのクモが歩くなんて想定していなくて、パレードできるルートも限られました。道路を通行するには、たくさんの法令があって、クモが足にダンサーが乗せて移動するのは危険だからやっちゃいけない、街路樹に足が触れちゃいけない、信号を上からまたいじゃいけない、とか。書き出したら、2時間のうち143の法律違反があったんです。

警察が「この中でひとつでも守れなかったら、即イベントは中止します!」と。でもどれも劇団にとっては重要な演出で、良いものを作るために譲らない。4時間にもわたる平行線の協議の末、ようやく妥協点をみつけて、なんとか実施にこぎ着けました。目の前をビル3階の高さの蜘蛛が通るんです。子供からお年寄りまで、また精巧なマシンにメカマニアも、普段劇場に足を運ばない人たちも、みんながエキサイトしました。フィナーレで、みなとみらいの夜景をバックに蜘蛛が歩く姿は、近未来的でとても美しかったです。あれも、けっこう修羅場でしたね (笑)。

この公演は、かかわった私たちも含め夢を見ることを忘れてしまった大人たちが、やろうという志があれば奇想天外な発想も実現できることを体感した貴重な経験でした。

夢を届ける。信じたことをやる。


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中西さんの今後のビジョンはありますか?

中西

いろいろあるけれども、私たちの仕事のひとつは夢を届けることかなと思っています。それってひょっとしたら生活必需品じゃないけれども、精神には必需品かなって。

人それぞれ好きなものもあるし、同じものをみても人とは意見が分かれることもあるけれど、自分の視点で良いと感じたものをひとつでも多く実現したいです。だからこそ、共感した日本のアーティストをアジアやヨーロッパで紹介する仕事は、続けて行きたいですね。

でも、日本から海外に行くのは、海外から来るよりも、100倍大変なんです。初めての相手、特に海外とは価値観や段取りが違うので、少なからず不安を抱えながら交渉を進めることが多いです。もっとも逆の立場も同じ気持ちでしょうけれど。

日本へ招聘する場合は、必要な機材の型番や照明の色味など、要望に対してひとつひとつ、「これは揃うがこれは代替え品」と、細かい協議を進めていきます。でも日本から海外に行くときは、大らかというか、同じレベルのケアをやってもらえない場合が多いです。もちろんみんながみんなというわけではありませんが、海外から来日するアーティストたちは我々の対応や仕事の姿勢に“日本がベスト”と言って感激して帰国します。

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いろいろな壁を乗り越える攻略法ってありますか?

中西

信じたことをやるっていうことに尽きるんじゃないかな。さっきの話に戻るんですが、本当に世界で通用するものであれば、財政面でもお金を工面する方法はいろいろあると思います。先ほど日本のお祭りの話をしましたが、遠征公演を実現するには、主催するリヨン市から出るお金だけではカバーできなかったんですね。

ただ、これは日本と違うところなんですが、リヨン市長が実現したい企画だったこともあり、市で賄えない分は、市長がいろいろな企業や公的基金、また日本大使へもどんどん連絡してくれました。

今回、東芝が協賛してくれたのも、リヨン市が推進する都市計画スマートシティー、二酸化炭素や電力を減らす街づくりのために、公共照明のLED化が進められ、東芝が大型受注をしていたことで、市長からの要請に応えてくれたのです。文化のために市長が先頭に立つ、ありがたいですね。

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そういう経済的なケアが広がってくれるといろいろ可能性は増えると思うんですけどね。

中西

日本ではまだ、文化交流ではお金を儲けちゃいけないという風習があり、少し前までは文化交流=無料公演という理解でした。それだと税金を使う以外どうやって運営して、果ては食べていけるのかという話になります。助成金の条件も、すごくおかしいと思うんですが、最終決算が赤字の事業じゃないと申請が下りないんです。

利益を生むための事業に税金は使えないという論理もわかりますが、経済的な余力があるか、大手のマネージメントがついていない限り、赤字とわかっている公演は普通できませんよね。お金持ちの趣味でなければ、最低限の経費は捻出しなくてはいけない。ダンサーや小劇団など、小規模でも文化に携わっている若者が生活していけるような、大儲けはできなくても、健全に運営できるような仕組みを作っていかないと、いつまでたってもクオリティーは上がって行かないし、産業としての底上げにならないのです。

公的な支援のひとつに、公共ホールの自主公演があります。意欲的なプログラムがナインナップされている会館とそうでないところが偏っているのですが、自主事業枠があるところは、どこも面白く集客ができる企画を探しています。会場によっては、同じ公演の繰り返しでマンネリ化しているところもあります。そういう意味でも、義務教育のカリキュラムに組み込まれるストリートダンスはニーズがあるんじゃないかな。

でも、新しい企画をやる勇気がない、もしくはストリートダンサーが怖いという先入観があるのかも。実際にストリートダンサーの方と付き合ってみると、真面目で礼儀正しい人が多いですよね。AKIKOさんを筆頭に(笑)。

意外に常識人というか、正直、接する前のイメージとは違いました。ストリートダンサーは、もっとアウトサイダーっていうイメージがありましたが、日本では全然そうじゃないですね。コンペティションやコンクールへ行くと、みんな真面目でお行儀が良いし、ダンサーやイベント主催者の直向さも素晴らしい。

TDM

一概に言えないかもわかりませんが、ダンスに関してはみんな真面目にやっていると思います。ジョークですけど、ダンサーなんて見た目は悪魔でも心はエンジェルですから(笑)。みんなピュアハートなんです。そんなストリートダンサーたちに「行けるチャンスがあるよ」と言ってあげたいなと。

“日本からは海外で公演ができる作品がなかった”という結果が残るのではなく、なぜ行けなかったのか? それを改善し、海外に行ける仕組みを提供したいなと。

中西

まず手はじめに海外とのパイプを持つ劇場やフェスティバルのプロデューサー、また評論家などに実際の公演を観てもらうこと。私も、面白い!と思えば、応援します。

ただし「こういうおもしろい人たちがいるのでどうですか?」と薦めるために、最低限、映像資料、そしてセールスポイント付きの簡単な自己紹介は必要です。資料は基本英語ですが、資料がなければ相談しながら一緒に作りましょう。トウキョウダンスマガジンにも英語堪能な優秀なスタッフがいますしね。

TDM

作品が5分程度だと厳しいですよね。

中西

うーん・・・5分ではテクニックは見せられますが、きちんと構成した舞台作品としては紹介できません。

単純に長さではありませんが、5分の作品では、まず入場料はとれません。やはり最低限15〜20分くらいの作品にまとめる必要があります。

ただし、その長さだと単独公演ができないので、人数や機材も最小限で。キャストが20人だと非現実的、ツアー一行が10名以下、5〜6名だと先方もトライしやすいでしょう。

知って、守って、発信する。



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公演が成立しても、中には一方的にキャンセルされたり、不当な条件で雇用されたり、契約の問題で泣き寝入りするなどのトラブルがあったことも聞いたことがあります。

中西

どうやって自分たちを守っていくか、日本にはダンサー、劇団、オーケストラ、個人、団体の実演家の権利を守る芸団協(芸術家団体協議会)という組織があります。公演の雇用者とのトラブルには、芸団協に所属していなくても相談にのってくれますし、そこで対応できないものは誰に相談すれば良いかの橋渡しをしてくれます。時々勉強会も開催しています。窓口は企画部です。

TDM

各国ベースでルールと過程を知ることは大切ですね。

中西

でも、ワールドスタンダードはなくて、ほとんどの場合、契約書は作った側に有利なようになっています。あとは、きちんと予算を持っているオーガナイザーもいれば、そうじゃないところもあって、決して悪気があるわけではないけれども、小さい組織ではチケットが売れなくて、最初の約束が守られないこともあります。

そこで、大きく経済的にも傷つくということがないように、いざダンサーとして公演に招かれたら、ちゃんと契約書を作成し、「最低限ここは譲ってもいいけど、ここは譲ってはいけない」と腹をくくって交渉する。

海外に行くときは口約束は絶対だめ。メールのやり取りではなく、必ず契約書を作らないといけないし、また書面で約束していても、支払い期限を守らなければ「お金を払ってもらわなければ踊りません!」って自分達を守っていくべきです。最初の仕事は、出演料も経費も公演前に精算する条件が基本です。

それから、これからはますます人と人との繋がりが大事になってくる時代です。良い仕事をして、良い関係を作って、実績を重ねて行くことが重要です。

最近感じるのは、若い人たちのことを批判する人もいるけれど、彼らは大きな社会の規制のシステムとは違う、もっと冷静に自分の価値観を大事にしていると感じます。お金を儲けることはもちろん大事だけれども、お金至上主義ではなく、自分が大事にしたいものにきちんと関わっている人が多い。

定職に就いてなくて、仕事はアルバイト、収入も最低限、でも自分が大切にしていることに時間を使う。中には目標無くやっている人もいるのかもしれないけれど、価値観は、変化しているんじゃないかなと。少し前の経済的な社会通念と違うところから、みんなが“あっ!”と驚くような作品が生まれてくる予感がします。

TDM

確かに私も感じる部分はあります。

ダンスイベントのオファーにしても、昔はダンスイベントがなかったけれど、今はいろんな人が主催して、毎週各地で行われています。でも、それはすごく良いことなんです。なので、今の子達は、誘ったときにイベントを選べるわけです。ノルマがあるかないかは別にしても、出演するイベントを選んでる時点で、誘ったときの感触が「誘ってくれてありがとうございます。」が「じゃ、協力しますよ。」の大きく分けて2つあります。

昔だったら、ほとんど「え!いいんですか!?やります!!」っていう感じでものすごく協力的でしたけどね。基本ダンサーというプレイヤーは受け身だと思うんです。ショーの中で、作品を発信はしていますが、自分たちでイベントを打って、自主開催している子たちは少ないなと。

誰かのイベントに参加し、主催ありきのところに出て行く。コンテストはエントリーがあり、オーディションも選ばれれば仕事にもなりますけども、大体は話をもらって参加していくという子たちがほとんどなのかなと思います。

私が経験してきてできるようになったことと、若い子たちが今の時代で経験してできるようになることはもちろん違うけど、どちらが大きいとかではなくて、同じ気持ちで創ったときに、内容が変わっていくし、それは相乗効果となっていく方が、お互いのためになる。そういう気持ちの人間が集まった方が良い。そこは、他者への依存じゃなくて、独立して欲しいなと感じます。いろんなタイプの人間がいて、もちろん発信している子も知っていますが、ちゃんと待っている子もいるなと。

中西

待っているだけかもしれないけれど、やりたいけれど何から始めて良いのかわからないのかもしれないですね。

TDM

そうなんです。もちろん発信する土俵を提供する行為ありきの話ですが、その土俵を知らない人もいるだろうし、発信する方法を知らない人もいるだろうし、そうなると、次へのチャンスさえもない。だから、そういった意味でもこういうインタビューをさせてもらえてよかったです。ありがとうございました。
'12/06/15 UPDATE
interview by AKIKO
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