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Story of HOUSE OF NINJA Part2 〜SHUHO 〜
Story of HOUSE OF NINJA Part2 〜SHUHO 〜
前回の「HOUSE OF NINJA」特集に引き続き、今回は日本で活躍する同じメンバーでもあるSHUHOにインタビューを試みた。どの時代も何かに優れた才能を持つダンサーが影響力を与える。そしてニューヨークはどの時代も、誰かに素晴らしいエネルギーを与える都市なんだろう。

個人の才能はあると思うが、実際、メンバーであるAKIKOちゃんもSHUHOも自分の目標や夢を抱き、そこに向かった日常を送る生活を歩んでいる。夢がなければ目標を立てることも難しい。目標が具体的であれば何に時間を費やして生活すべきかが自然とわかってくる。時間がかかっても無駄にはならない。その目標を一つ一つ達成していけば、自然と新たな道が開け、思い描く、あるいは目標以上の達成が現実になることもあるだろう。

大切なのは達成するまでに起こる問題やハプニングを前向きに乗り越えられるかどうか。すべては通過地点。その点を少しづつ繋げてみよう。HOUSE OF NINJA ご堪能あれ!

SHUHOSHUHO

House Danceの聖地New Yorkにて、“The House DanceProject” の中心メンバーとして、5年間活動し、“The Carnival"や“SF Hiphop Dance Fest”など数々のショーに招待されるなど、他国でのワークショップやショーを含め、世界的に活動しているダンサーである。 彼は、ハウスミュージック界において、もっとも勢いのあるアーティスト&プロデューサーであるMr.Vのステージダンサー、コレオグラファーとして「Da Bump」のP.Vや各地でのライブステージに出演する等の活動の一方で、ブライアングリーン主催の「House Dance Conference 2007」優勝や、1on1のハウスダンスバトル世界一を決める大会、「House Dance International」においても、2007、2008年と連覇し世界チャンピオンになる等、バトラーとしての顔を持つ。現在は、ヴォーグの神である“Willie Ninja"の作った伝説のチーム”House of Ninja”の新メンバーとして、ヴォーグの普及にも努めている。日本に帰国後、日本最大のソロバトルイベント「DANCE@LIVE FINAL 2010」のハウスサイドのグランドチャンピオンに輝く。

ヴォーグってすごい!自分もやりたい!

SHUHO

SHUHO僕が、ニューヨークにいったときに、 SHELTERってパーティーに通っていたんです。

ニューヨークに行って、1年くらい経ったとき、2004年くらいのときかな、 SHELTERではサークルがさかんで、僕もガンガン踊ってたんですが、 ある日、トントンと肩を叩かれ、 「すごくあなたのダンスが好き」と、声をかけられました。 見ると、その人はものすごい、いでたちで、 かなりインパクトがあって、「誰だろう、この人!?」と思いました。

すると、その人も同じサークルで踊りはじめたんです。 それはもう、ものすごくて、当時僕は見たことのないダンスで サークルもすごく盛り上がりました。

周りの人に「あのダンス、何?」と聞くと、「ヴォーグだよ。」って言われました。その人がHOUSE OF NINJAの創始者、ウィリー・ニンジャ(Willi Ninja)だったんです。

ウィリーは、その日MCをしていて、登場すると観客は盛り上がり、 「さっき声かけられた怪しい格好の人、そんなに有名なんだ!」と思いましたね。これが、ヴォーグやウィリーとの出会ったきっかけです。

HOUSE OF NINJAのパフォーマンスを観たのは、ブライアングリーン(Brian Green)が主催するHouse Dance Conferenceのときでした。

ゲストが、ウィリーやハビエルたちで、そのときのパフォーマンスを観て、「うわっ、ヴォーグってすごいな!自分もやりたい!」と興味が沸き始めました。

ヴォーグの歴史を聞いていくと、ハウスダンスよりもさらに昔からあるもので、ハウスカルチャーやミュージックともつなががっているし、自分のダンスにも取り入れられたらいいなと感じたんです。

そんなときに、HOUSE OF NINJAが舞台や今後の活動のために、新しいメンバーを探していると聞きました。

ヴォーグだけじゃない、いろんな能力をもったダンサーを欲しがっているということで、周りのダンサーから受けにいってみなよと言われ、オーディションへいったんです。

そこには、ブレイキンやヒップホップ、ワックなど、すごくいろんなダンサーがいました。

自分もその中でパフォーマンスしてみたら、気に入ってもらえて、「これから、HOUSE OF NINJAのリハーサルが毎週あるから、来なさい。」と言われ、リハーサルに行きはじめたのが、HOUSE OF NINJAと接しはじめたきっかけです。

毎週のリハーサルには、オーディションで受かった子たちが来ていて、当時も今もベニー・ニンジャ(Benny Ninja)という人がファーザーなんですが、彼にヴォーグを習っていました。

ベニーはその当時、モデルを育てるテレビ番組に出ていて、ポージング指導などをしていたので、ものすごく有名人でした。ウィリー・ニンジャが亡くなった後を引き継いだのが彼でした。

自分もベニーからヴォーグを習っていましたが、やっぱり、正式なメンバーになるのはなかなか難しくて、ほとんどの人が、ゲイかレズビアンなんです。それに対しての理解がない人は絶対には入れないし、僕は日本に住んでるときは、そういう人たちと関わりはないなと思ってたけど、実際一緒に過ごしてみるとすごくいい人たちだし、やっぱりニューヨークにはいろんな人たちがいるから、人種差別もなかったし、普通にみんなと打ち解けはじめて、そのときまでには、日本にいたときの価値観はなくなっていました。

「日本のファーザーになってほしい。」


SHUHO

SHUHO正式なメンバーになった日のことは今でも覚えているんですけど、HOUSE DANCE INTERNATIONALっていう、イージョー(EJOE)がホストで、ハウスというカテゴリにおいて、世界一を決めようという大会が2007年からニューヨークで行われるようになりました。

ハウスとヴォーグと、エクスペリメンタルというフリースタイルに近い新しい発想のダンスというカテゴリと、あとはペアダンス、ワッキングという5つのジャンルにわけられています。

僕は2007年と2008年のハウスカテゴリの1on1で優勝しました。その、2008年のとき、優勝した日に、ベニー・ニンジャから電話がかかってきて、「今、ホームパーティーをやっているから僕の家に来なさい。」と言われ、ハビエルと、HOUSE OF NINJAのマネージャーだったエイリーンに、半ば拉致される形で、車で連れていかれました。

「何が起こるんだろう?」と着いたら、結構真剣な雰囲気でしたね。まずは、ハビエルもヴォーグカテゴリで2年連続優勝していたので、「2連覇、おめでとう。」と言われました。

僕は、そのとき、あと2〜3ヶ月で日本に帰ることになっていて、それはHOUSE OF NINJAのみんなには伝えていました。

「君は、日本に帰るけれども、君をHOUSE OF NINJAの正式なメンバーとして迎え入れたい。日本に帰ってからも、HOUSE OF NINJAをレペゼンしてほしい。広めてほしい。」

当時のヴォーグはいろんなダンスとミックスしていこうという新しい動きがあり、ポッピンやウェーブをしながらヴォーグをしたりするいろんなダンサーをフューチャーしていました。自分はヴォーグをベニーに習っていたくらいで、そんなにヴォーグのプロフェッショナルではないですが、僕のハウスを評価してくれていて、それが、オーディションでの目的でもあったようです。

その当時、日本人のHOUSE OF NINJAのメンバーはいなくて、「君が日本のチャプターのファーザー、つまり支部のリーダーとして、HOUSE OF NINJAの歴史、カルチャーを伝えていってほしい。」と言われ、それが正式なメンバーになったきっかけです。

ウィリー・ニンジャの功績。


SHUHO

当時、差別されていたゲイやレズビアンの輝く場だったし、一般社会からはかなり切り離されていて、表立っての活動をしていたのは、本当にウィリー・ニンジャくらいでした。

それまではヴォーグはダンスではなく、派手な格好をしてウォーキングするだけだったものを、ウィリー・ニンジャがダンスにまで昇華させました。ヴォーグの神様と言われているのはそういう理由で、もっと、一般世間に認められるカルチャーに向上させて、人を感動させられるものにするのがウィリー・ニンジャの目的でした。

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Elite ForceやDance Fusionはチームという認識なんだけど、HOUSE OF NINJAはクルーっていう感じなのかな?

SHUHO

そんなにチームとは変わりはないと思うんですが、要は、ヴォーグはストリートダンスカルチャーとはまた別の歴史。だから、カテゴリがちょっと違うというか。ただ、ストリートダンスよりも前にあったカルチャーですね。

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何で“NINJA”っていう名前がついたの?

SHUHO

ウィリーの動きがとてもすばやく正確で、周りの人が「ニンジャみたいだ」って言い始めたそうです。

ウィリーもアジアのカルチャーをすごくリスペクトしていて、ヴォーグを進化させるために、空手やカンフーなどマーシャルアーツやヨガや、からインスパイアされた動きをダンスに取り入れています。実際、九州にも住んでいたという話はベニーから聞いたことがあります。

ウィリーはHIVで亡くなったんですが、病気になってからは表立った活動ができなくなりました。その中でもできる範囲でパフォーマンスするようにしていて、 そういうスタイルを伝えたい、HOUSE OF NINJAというハウス=家を伝えようとしていました。

ボールというヴォーグのコンテストで、たくさんトロフィーをゲットしたハウスはすごくリスペクトされ、人気があるのですが、HOUSE OF NINJAはハウスの中でも、アイコンというか、象徴的な存在なんです。日本でもNINJA以外のハウスに所属している人もいるんですよ。

ウィリーはHOUSE OF NINJAだけではなく、ハウス全体、ヴォーグの神様という存在でした。

ワッキンのソウルとレインのオリジナルダンサーのタイロン・プロクター(Tyrone Procter)と、HOUSE OF NINJAのグランドファーザー、アーチー・バネット(Archie Burnett)と、ウィリーと3人でBreed Of Motionというユニットで歌手活動をしたりもしていました。

ウィリーだけでも歌も出していて、ハウスと音楽のつながりはすごく深い。ああいう人たちは、VIPだから、カルチャーの象徴ですね。

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シーンが社会にも影響を与えていて、確立された影響力をもっていたんだね。

SHUHO

持ってましたね。だから、ストリートダンスからもリスペクトされていたし、ブライアンも「あんなすばらしいダンサーはいない」といっていました。

日本人の考えているハウスダンスのオリジネイターはDance Fusionっていう認識があると思うんですけど、実はもっと昔からハウスダンサーは存在していて、オリジネイターという意味では、アーチーとかは本当に昔からハウスのカルチャーで踊っていました。

僕が日本に帰ってきてすぐ、2008年のDance@LiveのゲストでHOUSE OF NINJAを呼んでもらって、アーチーとハビエルと自分とAKIKOちゃんと、大阪のRm Sisterとでヴォーグのパフォーマンスをしました。

ヴォーグってすごくアンダーグラウンドだし、いまだに知らない人もたくさんいるし、ヴォーグの中にもニューウェーやオールドウェー、ハンドパフォーマンスなどのカテゴリやジャンルがあって、すごく深い。

やっぱり、いまだにゲイやレズビアンの人はたくさんいるし、そういう人はボールシーンにみんないくし、日本人が知ってるような有名なダンサーもボールにいるし、むしろ出たりしています。

有名なところではダニエル・ニンジャ(Daniel Ninja)。彼女はビヨンセやジャネット・ジャクソンのバックダンスもしています。バレエ上がりで、本当にウィリーから直接ヴォーグを習っていました。

ハビエルも若手の中ではずば抜けた才能をもっているし、ウィリーの直の教え子。今では、ハビエルも世界に呼ばれているし、特にヨーロッパではヴォーグシーンが盛り上がっていて、国柄もすごくヴォーグに向いているというか、そういう音楽も多いし、カルチャーとして受け入れられやすいんだと思います。

ヴォーグのバトルはストリートダンスの中のカテゴリとして存在しています。それのきっかけがHouse Dance Internationalだったりします。そのときのヴォーグバトルを見て、みんなヴォーグがすごいと思ったようです。

ヴォーグの歴史は映画にもなっていて、Paris Is Burning だったかな。それにはヴォーグや、ボールシーンについての映画でとても有名で、ほかにもヴォーグについての映画はあります。

自分がHOUSE OF NINJAのメンバーとしてパフォーマンスをしたのが、Paris is Burningの上映時のオープニングでした。

今はウィリーも亡くなってしまって、ベニーが引き継いでいますが、ハビエルが世界を旅しているので、ほかの人が彼のダンスをすごく影響を受けて、彼を呼んでいる結果だし、僕から見てもハビエルはすごく才能のある人で、本当にいつも一緒にいるけど、すごく天才タイプ。彼の動画はかなり再生されています。実際は生で観るのが一番ですが、ヴォーグというものはどういうものなのか、それをわかる上でも観てみてほしいですね。

ストリートダンスの基礎になりえるものだし、自分も実際に習ってみて、これは、やっぱりいろんなダンサーは意外とヴォーグから取り入れた動きがたくさんあるなと。たぶん一番古いストリートダンスかもしれない。

ブレイキンとヴォーグはニューヨークの発祥だから、お互いの歴史が同じタイムライン上にあるんです。

TDM

どこからがストリートダンスと呼ぶかにもよるけどね。ストリートダンスとして継承されていった起源にはあるかもしれないね。

SHUHO

LAでいうロッキンとワッキンの関係と、ニューヨークでのブレイキンとヴォーグの関係とは似ていて、ストレートの人たちはロッキン、ゲイの人たちはワッキン、ストレートの人たちはブレイキン、ゲイの人たちはヴォーグ、そういう裏の歴史の上で、育ってきているし、ともに発展してきています。

HOUSE OF NINJAがすごいなって思うのは、さっきも話したLAのワッキンオリジネイター、タイロンとウィリーがつながって一緒にパフォーマンスしていたことはすばらしいことだと思います。

ウィリーの遺志を受け継ぐ、愛あるHOUSE OF NINJAたち。


SHUHO

タイロンやアーチーからは直接学べましたが、心残りはウィリーから直接学べなかったことですね。心残りではあるけど、でも、ウィリー・ニンジャへのリスペクトはずっと変わらないし、自分の憧れでもあります。

ウィリーが亡くなっても、彼のことを悪くいう人はいなくて、人間的にすごくリスペクトされているし、ゲイやレズビアンの上に立つ人には愛があるんです。

一般社会から跳ねられている、親や友達から愛されず、いくところのない、いわばホームレスのような人を助ける精神。だから、ハウスは本当に家族で、普通のダンスチームよりももっとつながりが深い。本当の家族なんです。

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それくらいかけがえのない存在なんだね。

SHUHO

だから、リーダーのことをファーザーやマザーと呼ぶんです。

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そんなファーザーの役割を日本で担ってほしいっていわれたのは、すごく意味があることだね。

SHUHO

はい、それを言われたときはすごく嬉しかったですね。責任も重いなと思いました。日本ではよくハウスダンスの意味だと思われがちですけどね。

あっちはそんなにカテゴライズは気にしないので、イージョーもウィリーとブライアンとショーをしたことがありますし、それは観たことがあって、イージョーもすごくヴォーグができます。ヴォーグのシーンをすごくリスペクトしてますよ。

あと、HOUSE OF NINJAにフューチャー・ニンジャ(Future Ninja)っていう人がいて、彼はウェーブを踊っているフリースタイルのダンサー。彼のダンスの技術をHOUSE OF NINJAとして昇華したいと、彼も僕と同じでゲイじゃないのに、僕より前に正式メンバーになりました。彼もヴォーグは踊っていませんが、ハウスのカルチャー、ヴォーグのシーンをリスペクトしています。僕もHOUSE OF NINJAに属していると、ゲイだと思われがちですが(笑)。

主にゲイやレズビアンの文化ですが、ウィリーがはじめてストレートな人を受け入れるようになって、なので、ダニエルもレズビアンではないですし、ストレートな人もメンバーになれるようになっています。トゥウイーティー(Tweety)もHOUSE OF NINJAなんですよ。

ただ、あとから入った人はつながりが浅いかもしれないですね。ゲイでもレズでもないですし。やっぱり悪いことではないんですが、一般のカルチャーとしても広めていこうというウィリーの遺志をみんなで受け継いでいます。

SHUHOハビエルも、ヴォーグだけじゃなく、ハウスを僕から習ったり、フューチャーからウェーブを習ったりするし、お互いにシェアして発展させていこうとしています。

僕もヴォーグを取り入れてハウスを発展させていこうと思っていますし、それはフューチャーも同じで、お互いにリスペクトし合っています。

僕が所属しているのはHOUSE OF NINJAのニューヨークチャプターという本家。ニューヨークのハウスシーンにどっぷり浸かっていました。

日本ではバトルにすごく出ているから、コンテストが好きなイメージあると思うんですが、もともと昔から出ていたわけではなくて、でも、出ることでいろんなカルチャーを見てもらえるし、自分が表立って出ていこうと思いました。そういうのは若いときしかできないし、裏方になるのは歳をとってからできるので。それで優勝したりすれば、HOUSE OF NINJAをレペゼンできるし、ニューヨークのハウスカルチャーもレペゼンできる。

自分は日本人だけど、日本人としてレペゼンしたいし、ニューヨークカルチャーもレペゼンしたい。その両方があります。

HOUSE OF NINJAに関してはウィリーの遺志もあるので、そういう意識を常にもって、自分がそれを継承できたらいいなと思って踊っています。だから、自分の中ではHOUSE OF NINJAは大きな存在だし、今でもファミリーだと思っていますし、ニューヨークと離れていますけど、みんな自分のことを気にかけてくれています。

ニューヨークで得たこと。


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もともとニューヨークにいこうと思ったきっかけは?

SHUHO

ニューヨークのハウスを本場で観たいと思い、そういうクラブにもいきたいと思って、大学2〜3年生のときに、チームメイトと一回ニューヨークに半月くらいでいきました。

実際、思っていた以上に自由で、ハウスはリスペクトとラブのカルチャーで、おじいちゃんから子どもまで、普通にみんな一緒に踊ってて、こういうのって日本にはないカルチャーだな、すばらしいなと思いました。

あとは、過ごしてみて、ニューヨークという町がすごく好きになりました。才能ある人がたくさん集まるし、すごく刺激的な町だし、すごく楽しいなと。それで、「ここに住もう。」と思い、大学卒業してすぐ1ヵ月後にいきました。

でも、旅行と実際の生活とでは当然違って、大変でした。まずは、英語がしゃべれないと本当に大変。あっちの家賃をチェックで払うっていうシステムも初めてだったし、友達もできない。人生ではじめてホームシックになったのはニューヨークに住んで1ヶ月くらいでした。

でも、そんなときに音楽聴いてるとそんな不安も忘れて、ダンスをやりにニューヨークにいる人はいるので、そのつながりで友達もできました。

自分はダンスと音楽が必要なんだな、これがないと生きていけないんだなと、 ニューヨークにいって再確認しました。

ダンス自体は大学生からはじめたんですが、ハウスミュージックは中学生くらいから聞いていて、そことダンスはまだ結びついていませんでした。ハウスダンスの存在も中学校のときは知りませんでしたし。

ダンスに関係なく、大学に入って、ハウスダンスがあると知って、「え?この音楽で踊るの?」と、そこにまずびっくりしました。そんなダンスがあるならぜひやりたい!と、そこから入りました。

その当時はSHELTERやLOVEっていうクラブもありました。まだニューヨークは音楽とダンスは近いほうですが、踊れる場所が昔よりも少なくなってきました。ダンサーが集まるクラブをブライアンがDance Conferenceとして提供してくれていましたけど。もう終わっちゃいましたけどね。ブライアンは今アトランタに移っちゃって、ニューヨークといったり来たりしています。

僕が日本に帰った直後くらいから、音楽とダンスシーンが離れつつあります。ただ、ニューヨークの景気とも関係していて、景気がよくないので、クラブにも人が集まらなくなりますよね。どんどんパーティーがなくなっているみたいです。ダンサーがたくさん集まっていたんですけどね。

今あるパーティーは本当に少ない。ダンサーが出るところが少ない。今はかなり下火ですね。だから、ニューヨークから出る人が多い。うちらが知ってるダンサーはもう歳も上だし、ダンスで仕事できる人は少ないですし。

TDM

ニューヨークで得たことは?

SHUHO

シャー(Shan)とトニー・マクレガ(Tony Mcgregor)は、僕がニューヨークにいった当時、ハウスダンスをかなり進化させていて、毎週違うコンセプトをもってきていて、ブライアンとシャーとトニーの3人が僕の中で新しいハウスダンスをクリエイトした人です。

いつもそういう人たちと一緒にいたから、直接習えたし、新しいアイデアをもらえたのはすごく大きかったです。

昔の話はなかなか英語がしゃべれないと聞けないけど、真実をいろいろ聞くことができたので、ほかの人に経験できなかったことができて、すごく財産です。それがニューヨークにいって一番大きかったですね。

今のダンスシーンはビジネス中心。みんなで踊る、自分のために踊るっていう感覚は薄れつつあります。「スターになりたい」という商業的なものをもみんなが求めるようになっています。若者の目標にはなるんだけど、ちょっとさびしいですね。

今でも、SHELTERだったら、昔から10年以上通ってる50歳のおじいちゃんとかがバック宙したりしていますよ (笑)。ハウスは現実世界から切り離されたものだから、普段のフラストレーションを発散するために来ている感じだと思います。

宗教に近いものがあって、日曜日にみんなで教会にいって、ゴスペルを歌ってみんなで幸せな気分になる、そういうものに近いかもしれないですね。むしろそのために、生きてるっていう人はクラブがある限り、遊びに来続けると思います。

Story of HOUSE OF NINJA Part2 〜SHUHO 〜

展望。バランスをとりながら。


SHUHO

僕も日本に帰ってきてから、忙しくて、ダンスを単純に楽しんでクラブにいくときって、ニューヨークにいたときに比べたらほとんどないに等しい。でも、自分はダンスで仕事ができているのはすごく幸せです。

結局、ないものねだりなんですかね。自分のために踊る時間と、仕事のための踊る時間って結局切り分けるのはすごく難しいのかなと、そこが今の自分がすごく考えていることです。

自分のために踊りたければ、またニューヨークにいくと思います。いつもそこは葛藤しています。ただ、ダンスで仕事をしているのかなと考えると、そこに納得しなくちゃいけないし。

TDM

SHUHOくんの展望は?

SHUHO

本当は、ただ自分の好きなダンスをして、それでお金がもらえればいいんですけどね。でも、そういうものじゃないから。

自分はプロ意識をちゃんともってやっているし、自分が楽しむだけのダンスを選ぶんだったら、別の仕事をして、ダンスをやり続けたほうがきっといいんだろうし。

自分はプロダンサーになろうってある程度腹をくくって、覚悟を一回決めてるので、そこは曲げたくないし、そこに時間をとられるのは、しょうがないかなと思っています。

その分、経験できないことができるし、ダンスを通じて仲間がすごく増えていくし、やっぱそういうのも、別のダンスの楽しみ方をしているというか。

ただ一人でクラブで踊るのも好きだけど、それだけでは得られない経験もしているので、そういうのも大事にしつつ、みんなが踊れる時間も作れるようなダンスシーンにしていけたらなっていう思いもあります。

今は、商業的に、ダンスショーケースを観にいくイベントが多いので、昔みたいに、単純に自分がいってダンスを楽しめるような、ラブな感じのこともやりたいなって思うし。そこのバランスを取れたらいいですね。

あとは、ハウスのカルチャーを広めたい。もっとハウスをやりたいっていう人を増やしたいですね。

今はキッズに教える機会が多いです。すごく素直だから、すぐ入ってくれて、結構うまい子も多いですよ。今は子どもだから変に押し付けたくないですけど、将来、自分で楽しめるようなダンサーになってくれたら嬉しいですね。

これまで、個人的な活動が多かったので、今後は仲間たちとハウスのスタイリッシュさとおしゃれさを再認識してもらえるような活動をしていきたいです。

僕は守るんじゃなくて、できれば攻めたい。昔ながらのハウスを守ってくれている人はいるので、僕はもっともっと違う人たちに観てもらえるように、浅くてもいいから、きっかけになるような活動ができたらいいかなと。それが展望ですね。

TDM

貴重なお話、ありがとうございました!
'12/02/22 UPDATE
interview by AKIKO
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