TDM - トウキョウダンスマガジン

"en4th" 2UCCI/爲谷謙治 〜 we wanna enforce. 〜
"en4th"立ち上げから3年。当時の爲谷さんと出会った頃から比べるとはるかにダンスに対する情熱を肌で感じる。知る側から、発信する側に…。そんなエネルギーの変化を感じ、爲谷さんのダンスシーンに対する想いって、もしかしたらダンサーにそこまで伝わっていないのではないか?と、この特集を企画してみた。

様々なプロが動いて、初めてそのシーンが本物になっていく。ダンスシーンのために、ダンサー以外のプロが動いてくれることのありがたさ。世代によって、ダンサーの持ついろんな才能の活かし方があって、これからもっと「ダンス+α」の可能性が広がっていくはず。そんな一人一人が作り上げるダンスシーンの一角を担うプロの想いを綴ったインタビュー。

2UCCI2UCCI (土屋亮二)

"en4th"ブランド・ディレクター。 ダンス暦13年。ブレイキンチーム”コペルニク ス”所属。 DANCE DELIGHTなど出場、コンテスト・バトルで戦績を残す。 学習院大 学経済学部卒後、社会に出てIT戦士となる。その後、エンターテインメント戦士とし てavex groupへジョブチェンジ。アーティスト2次ビジネスや音楽パッケージマーケ ティング担当を経て、"en4th"ブランド業務に携わる。

爲谷謙治爲谷謙治

「"en4th"」ブランド・プロデューサー アパレルブランドデザイナーを経て、2000年よりavex groupに勤務。 ネットワーク関連事業やMD事業を経て、2008年4月に誕生した、ダンス・トレーニングブランド["en4th"] (http://en4th.com) の立ち上げから、現在に至る。

爲谷謙治のインタビューはこちら


ブラウン管から感じた一体感。

TDM

では、"en4th"のスタッフとしての顔の前にブレイカー・2UCCIの話も聞きたいので、まずダンスを始めたきっかけから。

2UCCI

2UCCI最初は、高校2年生のときに、友達からいきなり「このビデオ、見てみ。」と言われて、何のビデオかわからず、家のビデオデッキにテープを入れて、再生したらJAPAN DANCE DELIGHTでCOIN LOCKERSが優勝したときのショーの映像だったんです。

「こーれーはすごい!ここに立つしかない!」と思い、ビデオを見せてきた友達もロッキンをやっていたので、そのまんまロッキンを始めました。 昼休みや放課後に中庭でずっと練習してましたね。

TDM

ダンスに反応してくれた友達がいてよかったね。

2UCCI

先輩が少しずつやってはいたんですが、自分たちの代で一気に増えましたね。同じ高校の仲間たちでチームを組んで、初めて出たショータイムが高校3年生の文化祭でした。めちゃめちゃ緊張して、もう、「客を芋に思え!」状態でした (笑) 。今でもビデオがあるんですけど、本当に下手で笑えます。たまに、後輩に見せて夢と希望を与えています (笑) 。

ここまではロッキンでした。けど、その文化祭で、教室にクラブを作ったんです。DJもラッパーもダンサーもいたので、ショータイムやDJタイムをやって、普通にイベントみたいにしました。

他校の生徒も遊びに来ていて、DJタイムで、ブレイキンをやってる奴がいたんです。生まれて初めてブレイキンを見たんですが、自分の高校で他校の奴が、我が物顔でクルックル回ってるのを見て、カッチーンと来ちゃって、「俺、アレやる!!」と、次の日から、BBOYになりました。単純でした (笑)。

仲間の中にブレイキンをやってた奴がいたので「大至急明日から教えてくれ。」と言って、翌日からやり始めました。それからはだんだんブレイキンに熱が入っていきました。

TDM

恵まれた環境だったんだね。それからその熱は冷めなかったんだ。

2UCCI

冷めなかったですね。ただ、BBOYの先輩もおらず、スクールに通うという発想もなかったので、情報がありませんでした。

2時間の中に数分だけダンスシーンが入っているような、いろんなHIPHOPカルチャーが入っているビデオを買ってきて、何分何秒に出てくるのかをメモした紙と一緒に、そのビデオを何度も見ていました。でも、その技をどうやってやればいいのかわからないので、見よう見まねでやっていました。今思えば、本当にそれが純粋に楽しかったです。

TDM

当時の感覚の中には「ダンサーになろう。」なんてなかったと思うんだけど、好きなダンスと自分の将来とをどう考えていたの?

2UCCI

2UCCI中学、高校と部活でテニスをやっていたんです。高校2年でダンスと出会ってからも、まだテニスは続いていたので、テニスが終わってからちゃんとダンスをやろうという感じでした。

とはいえ、中学の頃はまだ良かったんですけど、高校生になると「何で俺はテニスをやってるんだっけ?」っていうような感覚も持ち始めて・・・。楽しくてやってるんですけど、テニスはどうも自分に向いてないのか、それだけのことを考えて生きているという感じではなかったですね。

そんなときに、特に何かを探していたわけではなかったんですが、ふとダンスと出会い、ただ、単純にやりたい気持ちだけで始めて、楽しいから続きました。こう踊れと言われることもなく、ただ、踊りたいから踊っていました。

ただ薄っすらある小さい頃の記憶では、妹の部屋でジャニーズの曲で踊ってた記憶があります (笑) 。あとは、親いわく「あんたの小学生のときのソーラン節は、クラスで一番だった!」と、今でも言われます (笑)。おそらく、昔から踊るのが好きだったんでしょうね。

自分の将来については、金融一家なのでその道なのかなと漠然と思っているくらい で、具体的な将来像はありませんでしたね。 今思えばそんな両親が、やりたいこと をやらせてもらえて、ダンスを認めてくれるに至ってほんとに感謝です。

TDM

COIN LOCKERSを見て、反応するくらいだから、天性のダンス好きだったんだろうね。

2UCCI

本当にあのショーはぶわーっと駆け抜けていく感じで、出てくるエナジーがすごくて、それがブラウン管からも伝わってきたんです。

「なんだこれ!?」っていう初めての衝撃がものすごかったですね。あの感覚は口では説明できませんね。そして、見終わったときには一言で言うと「こうなりたい」と思いました。お客さんと演者の一体感、見ているものを引き込むショーだったからかなぁ、と今なら思えます。

コペルニクスに加入。全国大会で感じたもの。


TDM

それからコペルニクスになったの?

2UCCI

2UCCIコペルニクスまではそれから1年くらい空くんですが、もともと僕はオリジナルメンバーではなくて、後から入ったんです。僕は学習院大学なんですが、コペルニクスは基本的には早稲田大学のダンスサークル・早稲田ブレイカーズのメンバーをメインに構成されています。

大学に入って、他大学生とも仲良くなって、1・2回スクールにも通って、同い年の仲間とチームを組んだ中に早稲田大学の奴がいたんです。そいつから、「うちの大学の人たちでストリートパフォーマンスをやりに行くから、遊びに来ない?」って誘われ、「行く行く!ブレイキンで有名なワセブレの人も来るんでしょ!?」とウキウキした気持ちと、「自分は目立たず傍から見ていられればいいや」という気分で行きました。

行ったら、パフォーマンスはソロ回しで、結果、自分たちも出ようという流れになりました。上手い人だらけで見ているだけでも知らない技ばかりの空間。緊張しながらも、とにかく自分ができることだけを何とか頑張ってやりました。

すると、思いもよらず、自分は珍しい動きが多いようで、周りから興味を持たれました。というのも、ブレイキンを始めてからちゃんと習う人はいなくて、見よう見まね好きなようにやってきていたので、スタイルが変わっていたみたいなんです。よくよく考えると、スクールで出会った仲間たちと仲良くなったきっかけも、「何でそういう技ができんの!?」っていう会話でした。なんか認めてもらえたというような感覚で、すごく嬉しい瞬間でした。オリジナリティーを認められたということでしょうか。

その、ストリートパフォーマンスのときのメンバーに、コペルニクスのメンバーが何人かいたのです。コペルニクスには当時ダンスディライトを目指していて、もう1人メンバーを探していたのです。

コペルニクスにはないものを持っていた自分がたまたま現れたので、飲み会の帰り道で、「ディライトに出ない?」と誘われました。「もちろん出たいです!自分はそれを夢見てダンスを始めたんです!」と言って、コペルニクスに入ったのが、大学2年生のときでした。

ちなみに、この飲み会中にコペルニクスのメンバーとはダンス以外の部分ですごく打ち解けていました。一緒に遊んでいた感覚で、人間的なフィーリングも近かったんですね。ダンスがきっかけですが、ダンスのスキルとかではなく、今でも心がつながっている最高のファミリーです。

コペルニクスは、加入するまで自分の中でものすごいチーム。夢のような話でした。

大学1年生のとき、関東大学学生ダンス連盟のクリスマスパーティーで、自分の出番まで外で練習していたんですが、会場から突然「ウワーッ!」という地鳴りのような歓声が聞こえてきて、見に行ったらコペルのショーをやっていました。

真っ白の衣装に身を包み、ASAMIちゃんがヘッドスピンをしている周りを、男が囲んで拝んでいるっていうシーン (笑) 。そこからエンディングに向けてさらに盛り上がる。曲はサンバ (爆) 。それがコペルニクスを初めて見た瞬間でした。

TDM

コペルニクスはディライトでどこまでいったんだっけ?

2UCCI

一回目のネタで東京予選を通過して全国大会へ出ました。でも、全国大会までいって、順位は取れませんでした。ただ、ディライトの舞台に立てたので、大きな目標にたどりつけたことで、ひとつ区切りがつきました。

たどりついたところで、見えたものがあまりに多すぎましたね。

会場の外でのリハで大阪のブレイキンチーム・BRONXを見て、「何だあれ!?」と衝撃でした。そして、まだ10歳くらいだったTAISUKE、TOSHIKI (現ALL AREA) がいたCOOL CREW Jr.は、自分ができないことを簡単にやってのけている。いろいろなジャンルを見るきっかけにもなり、世界の広さを感じました。

結果的には、そういったすごいものを見て、次に、自分たちは何をやらなくちゃいけないのか、自分たちにしかできないことは何か、という自分らしさを探す良いきっかけになりました。

で、その後も、とにかく大学では本当にダンスしかやっていなかったですね。

大学生ではサークルに入って、飲み会だ、バーベキューだ、合コンだ、という一般的な大学生の感覚が僕には一切なく、ともかくダンスだけやっていました。授業中もストレッチしたり、肘を机にぶつけて強くしたりしてました (笑) 。

無我夢中、周りは見ていませんでしたね。

病気。就職。転職。

TDM

就職は?

2UCCI

2UCCI考えました。そもそも、自分の体がダンスに向いていなかったんです。まず、左足がちょっと不自由で、変形性股関節症という病気なんです。股関節は普通丸くなってるんですが、左だけ変形しちゃってるんです。

先天性か、10歳未満のときに変形したものなんです。もしかしたら50歳になったら削らなくちゃいけない可能性もあるらしいです。足の開きは右が75度に対し、左は30度。その分腰を曲げたりしてフォローしているんです。なので、そもそも運動には向いてないんです。。。

TDM

そうだったんだ。どういった支障があるの?

2UCCI

飛行機以外は今は大丈夫ですけど、大学4年生のとき、学生最後に技の幅を広げようと頑張ってたら、負担がかかりすぎて歩けなくなったときがありました。

地元の駅に着いた電車を降りられなかった、というか、立てなかったんですよね。いきなり動かなくなっちゃったんです。隣駅からタクシーに乗って、家に着いてからもほふく前進。次の日から高田馬場のケッズという整体院通いで、毎日練習終わったら30分アイシングしないと帰れない日々でした。その時代が一番大変でしたね。

精神的にというよりも、踊るときに無意識に動きがビビっちゃうのがキツかったですね。痛いのは大腿骨を抑えてる骨盤の中の部分。人より大腰筋が発達していたお陰でカバーしていましたが、バーン!って衝撃を与えると骨がぶつかり炎症が起きる。そして少し使わないようにして治しても、使うとまた炎症が起きる、の繰り返しでした。

怪我はBBOYなら付き物というか、「足のじん帯伸びてしまった。」と言われたら、「そっちを使わず踊ればいいや」っていう感覚なんですけど、さすがに、まあ、受け入れるしかないですけどね。その事実は変えられないので。そして、こんなに楽しく、多くの仲間と出会わせてくれたダンスをやめるなんていう選択肢は、ありませんでしたね。

TDM

そんな辛い時期を経て、ダンスは続けるかもしれないけど、社会と向き合わなければいけない年齢になっていったんだね。

2UCCI

はい。でも、特に社会に出て何かをやりたい!っていうものがあまりなかったんです。大学から社会に出るときに、まだ何かを勉強したいとか、自分をひとつ上に上げるために、何か習得できるようなところに行きたい、というのが僕にとっての就職活動でした。それで、最初はIT系の会社に就職しました。そこで何をやりたかったかというと、将来、靴屋になりたかったんです。

ダンスをしてると、踊ってばかりなので、お金がない。靴も買えないから、アディダスのスーパースターの3本線が0本になるまで履きつぶしたり、さらには、穴が開いてるところに、自分のジーパンを切って貼り付けて補強してたりしてました。そんな靴でもいいからとにかくバイトしないで踊りばっかりやってました。そっちの時間のほうが大事だったんで。

服はもともと嫌いじゃないし、むしろ好きなタイプで、特にスニーカーが大好きでした。その反動で、なんとか少しでもダンサーが何か喜ぶことをしたい・・・デザインなのか、値段なのか、機能なのか、ものによって全然違いますけど、その最初の夢が靴だったんです。

就職活動の志望動機のところには、進路が「ITのシステム関係」で、将来の夢が「靴屋になって靴を売ったり作ったりするシステムを作る。」ってずっと書いてました。

希望通り就職したIT関連会社で4年間働いて、転職しました。前の会社はシステム開発会社の大手で、例えば、社内マーケティングシステムや、工場の生産管理システムなどを作る。経営側の人と、開発プログラマーの間に立ってプロジェクトを進める仕事をしていました。

就職して4年経ち26歳、ある程度ですが「仕事できたっ!」という感覚を得るまでたどりつきました。そしてそのタイミングで、「このままこの感覚の中で生きていくのか、そもそも自分がやりたいことって何なのか・・・ムムっ?」となっちゃったんです。

自分の性格として、常に自分が変わって成長していないといけないっていう考えがあるんです。なので、小さい感覚ですがひとつ「仕事できたっ!」という感覚を得たことがきっかけになり、そこから先の自分の人間としての成長を考えたんだと思います。自分が「生きている!」という感じが欲しいです。

TDM

ストイックなんだね。

2UCCI

はい、僕はストイックですね。周りがついていきたくないって思うくらい(笑)。大学のダンスサークルのとき、部長だったんですけど、僕が部長になってものすごく厳しくなった瞬間、メンバーが半分に減ったこともありました。でも、最後には僕もまずい部分を考えなおし、みんな戻ってきてくれたんですけど (笑) 。

TDM

その性格は、爲谷さんと、ますますいいコンビだと思っちゃった (笑)。それから、エイベックスに入った理由は?

2UCCI

2UCCIそして、「生きている!」という感覚をテーマに、30歳を前にして今までの自分の総集編みたいな感じに考えました。

社会人になってからもダンスはずっと続けていました。恵まれたことに、大学のサークル下の代もうまく続いているので、そこの練習場で後輩が育てばいいなと思いつつ、一緒にやっていました。それがいいストレス解消になっていたというか、むしろそれがないとバランスが保てなくなるくらい、自分の中での一部になっていましたね。気づいたら、ライフワークの中にダンスが入っていたんです。

そんなダンスを、一旦“エンターテインメント”という幅まで広げて捉えました。それと仕事で培った“IT知識”。その2つをドッキングさせるものって何かあるかなと思い、見つかったのがエイベックス・ネットワークという会社でした。その中でも、アーティストの2次ビジネス企画の部署で、ITテクノロジーを活用した、着うた (R) や、アーティストのグッズ・ファンクラブの企画をやるところでした。

エンターテイメントつまり、ダンスやアーティストとIT技術の間に立って企画を立てる仕事は、前職での間に立って仕事するスタイルと似ていましたし、無事転職できました。

転職面接では、コペルニクスの爆笑ネタもお話したりして合格。なんだか今までの自分がリンクする運命も感じましたね。そして、前の会社に就職していなければこの一歩はなかったし、転職を応援してくれた前の会社の同僚には本当に感謝しています。IT知識が今の会社で重宝されたりもしました。

入った部署で2年間。そのあと社内改革があり、より音楽の部分に寄ったCDや音楽配信の販促・マーケティングなどの仕事に異動。そこでもさらに2年間過ごしていた中で、"en4th"のプロジェクトは既に始まっていました。

「ダンサーがもっと生活しやすくなるようなことをやりませんか」

2UCCI

実は、過去に、自分がダンスをやっていることを知っている担当していたアーティストから声がかかり、全身タイツを着て、a-nationのステージで踊る機会があり、4エイトのソロをすることがあったんです。

そんな経緯があって社内で自分がダンサーだということを知っている人が増えました。そして、社内でダンスプロジェクトが立ち上がるというお話を教えてくれた方がいて、自分の本来の業務とはまったく関係ないんですが、最初の企画段階で打合せに参加したんです。もちろん、「行っていいなら絶対に行かせてください!」って感じでしたね。それからちょっとずつ時間を上手く割いて顔を出しつつ、つながり始めました。

TDM

完全に"en4th"に加わるまでに2年かかってるよね?

2UCCI

そうですね。そのとき携わってた仕事もものすごく大変ですが、やりがいのある内容でした。とはいえ、自分も30歳手前のタイミングで、この仕事は僕じゃなくてもいいんじゃないかなって思えてきて。

エイベックスに入るときに、ダンスというカテゴリーをエンターテイメントにまで枠を広げてみて、結果、音楽の仕事に携わり貴重な経験をさせてもらって。そして再認識したのは、「やっぱり、ダンスだ。」でした。

そこから、「受け入れてもらえるかは別としてとにかく人に話をしてみろ。この会社にはいろんなことをしている人がいるから、みんなに話せば何かができるかもしれない。」というアドバイスももらい、「ダンサーがもっと生活しやすくなることをしませんか」と企画相談しました。

例えば、僕個人が強く思っていることなのですが、ダンスの練習場を増やすプロジェクトや、海外のダンスの舞台を持ってくる企画を持ち込んでみたり。そして、現在同僚である爲谷さんとも縁あり、"en4th"に異動した流れになります。

TDM

それで、現在約半年間くらいの所属だけど、今感じている手応えや状況はどんな感じ?

2UCCI

2UCCI"en4th"はひとつの洋服のブランドであって、もちろん成功させることも大事なんですけど、それだけがゴールではないと思っています。最終的にはダンサーのためになることがコンセプトなので、たとえばイベントをやったり、さっき言った話に僕はつなげたいなと。

まずは"en4th"なんですが、現状大変な部分もあります。ダンサー人口が増えていると言われながらも、まだまだ世の中では一部分。その中でダンサー専用のウェアに対して、お金を出してくれる人がどれだけいるかというとそんなに甘くはありません。でも、可能性はあると思っています。

たとえば、ダンスをするときの服は安くても何でもいいという意識よりも、いい服を着て踊ったほうが、テンションが上がっていい踊りができるとか、洋服を変えるとダンスが変わったりする。僕も実際、テンションが上がらないからハーフパンツに変えてみたら、足のキレがよくなったりしましたし、そういう新しい刺激につなががるような新しい発想を"en4th"が与えていければいい。新しい購買動機につながるムーブメントを作れば、単純に売り上げにつなががって、そこでお金の循環が生まれて、さっき言ったようなことができるというイメージです。

ダンスに対する見方と一緒で、昔は、不良がやっているイメージのストリートダンスも、最近は子供たちもやるようになって、いいイメージに変わってきた。やっていることは同じなのに、単純に見え方や感じ方が変わってきたように、どんどんイメージを変えていきたい。最終的にはダンスを、普通の人も盆踊りのように踊るようなものにしていきたい、というイメージですね。かっこよさは失いたくないですが (笑) 。

今は、まだひとつのアパレルブランドという、目の前の仕事としてやっていますが、こういった未来への希望と可能性を持って、少なくとも爲谷さんも僕もやっています。あとは、この展望を社内でどれだけ主張できるか。そのために、結果としての数字を上げなくちゃいけないというのは、どうしてもクリアしなくちゃいけない壁ですね。

でも、運よくエイベックス全体は、ダンスミュージックに対して恩恵を受けているので、何かしら返したいという気持ちは必ず持ってくれていると思っています。だから、僕らの行動に目は向けてくれます。

あとは、自分がダンスをやっていた者として守っていかなきゃいけないことがあります。

自分は自然に生活の一部分にダンスが定着しました。他にもいろんな経緯でダンスをやっている人がいます。そこにあるダンス文化、そしてヒップホップカルチャー、いろいろな側面があるので奥の深いものです。その文化自体を理解し、解釈して、ちゃんとバックアップしていこう、という発想を持っている人は社内にはいないと思います。それをやるのが、ここに僕がいる意味なのかなと。

表向きには、ここ数年でストリートダンスのイメージがよくなって人口も増えているように見えますが、単純にイメージアップして、人口を増やすことがいいのではなくて、もともと、その文化を築き上げてきた人が疑問に思うようなことが今後起きないように、過去を理解しながら未来を作っていきたい。そこだけは、声を大にして「いや、それはないでしょう!」と、戦っていかなくちゃいけないのかなと。難しいところですけどね。

もっとダンスを愛する人を増やしたい。


TDM

アパレルという今のフィールドはこれまでの人生の中で初だよね?もともと好きだったの?

2UCCI

2UCCI好きですね、センスがいいか悪いかは別として (笑)。

ヒップホップカルチャーとしても、ファッションはあるし、ダンス同様、僕にとっての自己主張のツールで、人と違う何かを入れてみたり、オリジナリティーを出せる場所なので、大好きです。

TDM

まったく経験のなかったアパレルに身を置いて、そこにやりがいを見出していくのか、今のフィールドから発信するもので、何か自分の経験や性格を生かしてやりがいをいかしていくのか、発信できることはある?

2UCCI

今思うことは、もっとダンスを愛し続ける人を増やしたいです。

ダンスのイベントに協賛してくれる企業など、ダンサー以外でダンスのために何かをしてくれる人が増えてきました。もちろん、ダンスシーンをサポートしたいという人もいれば、企業宣伝目的という場合もありますが。

そこには、ダンスを愛する人がたくさん関わっています。

ダンサーのためになる具体的なもののひとつとして、"en4th"も生まれました。それって、ダンサー、ダンス業界にとってもひとつの刺激であって、そういう刺激がどれだけ増えるかによって、ダンス業界に寄ってくる人の数も増えると思います。なので「ダンスのためになることを何かをしたい!」「ダンス関連の仕事につきたい!」という人を増やしたいですね。

向かう方向として、自分が全部できるわけがなくて、人と人が協力して、みんなでダンスシーンを盛り上げていこう!ずっとダンスを愛していこう!というシーンにしたい。

「自分もダンス関連の仕事やる!」と手を挙げる人の中に、その理由として「"en4th"みたいにダンスシーンをサポートしていきたいと思ったからです」と言う人が生まれてくれたらいいですね。

TDM

今の仕事の中で、何が楽しい?

2UCCI

2UCCI日ごろから、ダンスのことしか考えなくていいことですね (笑) 。

ダンス以外の時間がない。これはもう恵まれたこととしか言いようがなくて・・・大学生の頃の自分とか、就職して週末しかダンスしてなかった頃から、気づいたらここに行き着いたんだなーと考えると、不思議です。ただ、ずっと変わらないのは、常に踊っていることだし、これからも踊り続けると思います。

TDM

"en4th"によって自分のダンスの変化もあった?

2UCCI

ありましたね。"en4th"はオールジャンル向けなので、いろいろなジャンルのダンスを見るようになってから、ジャンルという発想がなくなりましたね。たぶん、同じBBOYと比べると、いろいろなジャンルのダンスを見ているほうだと思うんですが、「ストリートダンス」というひとつの枠になりました。

具体的な変化としては、BBOYバトルではなくフリースタイルのバトルにしか出なくなりました。“音楽に対して体を動かす”という共通のことをやっているだけなので、ジャンルは歴史や音楽や動きの区切りでしかないような気がしていますね。

歓声を浴びたときに、立てられた一本のアンテナ。


TDM

常に2UCCIに影響を与え続けている人やものってある?

2UCCI

周りのダンサー全員ですね。初心者・経験者関係なく、昔の自分からも影響を受けます。やっぱり、純粋無垢に、踊り方知らないのにただ動いている自分も、音を感じて意外と動いているなと。今の、自分にないものは全部刺激になりますね。

あとは、音楽。やっぱ聞いたことがない音楽を聴くと刺激になります。音楽が変わり続ければダンスも変わり続けるので、踊りたいというモチベーションが自然と産まれてきますね。

それと、初めてコペルニクスでディライトに出たときに浴びた、「ワーッ!」という歓声は一生忘れられない。あの歓声を浴びたときに、アンテナが一本立てられたのが大きかったですね。それは今の練習場でもたまにあります。フリーで踊ってるときに「うわっ!すげー!」って仲間から声が上がると、「ヨシ!」って思える。

コペルニクスって、難しい技をやるというよりは、コペルニクスというひとつのファミリーとして、一緒に踊ったり、一緒に生活をしたり、お互いが個性で刺激しあったり、自分たちにしかできないことを一生懸命考えて、構成や振りにして、ショーとして見せる。それに対して、「すごかった」「感動した」「泣いた」といろんな感想をもらえることが、最初はもはや衝撃でした。そしてそんな仲間からは、今でも刺激を受けています。感謝します。

そしてそんな機会に巡り合わせてくれたダンス・・・元をたどればダンスディライトがなかったら・・・COIN LOCKERSが優勝してなかったら・・・自分はダンスをやってないかもしれない。いろいろ運命を感じますね。

TDM

じゃあ、下の世代にもそういう機会を作っていけるようになりたいですよね。

2UCCI

2UCCIそうですね。今や世界に出て行く人が増えて、どれだけ日本人が戦っているか…昔にはなかった見方ですよね。

今ダンスイベントっていっぱいありますが、常に追い求めるものを大きくしていかなくちゃいけないと思います。甲子園で優勝した人たちが、次はメジャーリーグに行くことによって、周りの関心も変わっていくのと同じように、ダンスもつなげていけたらいいですね。

人に見てもらう機会を増やすためにメディアを増やすというよりは、イベント的な刺激を増やすほうが、僕に向いてるのかなって思います。

現時点で"en4th"が成り立っているのが不思議です。ミズノさんと共同でできるのって、やっぱり会社だからできることだし、そこにうまく人が集まってたまたまできたことだと思います。

「じゃ、ミズノさんと組もう!」と提案をする人はダンサーにはいないと思うんです。僕も初めは「ん?」と疑問でしたし。

ダンサーだったらあまり話す機会のない第三者的な感覚な人と、ダンスを学生のときにやっていた自分が、社会人になったことで、社会人というフィルターを通して話せる機会が持てるようになったダンサーだから、一緒にできることがあるんだろうなと自分でも思います。

TDM

世代毎にダンサーの生き方やできることって変わってきてるし、動かせることや、今後もっと違う形で動くダンサーも出てくると思うんだけど、結局、何かの意味を持っているっていうことが同じな気がするんだよね。

たとえば、パソコンやスマートフォンの扱いもめちゃくちゃ早い (笑) 。いわゆるどんな世代がどんな風に長けたり欠けたりする部分があっても、それぞれのスタンスがあって、何にインスパイアされたりしたり、どれだけの人に影響を与えたりされたりするのかを考えると、ダンスシーンへのメッセージはこれからも無限大にあると感じます。

社会人を経た2UCCIだからこそ、爲谷さんとできることがあると思うし、それも、"en4th"じゃないとできないと思うし、そういう世代になっている2UCCIたちが素敵ですね。

ダンスシーンがいい意味でかっこよさも失わず、ダンスの持っている可能性として、楽しく一生懸命生きられること、かつ、かっこよければ最高ですよね。そんなダンサーの在り方が、少し前までは社会的に具現化され難かったというか、そういう感覚を持ちにくい人が多かった気がするんですが、今、社会に出てきて、違った現場からだけど、ダンスをもっとよくしようと思う人たちがいるムーブメントが合致していくようなイメージが持てます。ダンサー個人が持ってる社会に対する影響力が大きくなっている気がして嬉しいです。

これからもお互い、らしく、頑張りましょう。
'10/12/15 UPDATE
interview by AKIKO
photo by imu
12Next →
関連Topics

TDM的
[Pick Up Event]
2UCCI(ツッチー)を探せ!in WORLD WIDE

"en4th"スタッフの2UCCIを見つけて景品をGETしよう!
TDM的
[Report]
TDM的"en4th"のススメ。〜ダンスレッスン編〜 by PINO & YOSHIE

本物志向のダンサーの心と身体にフィットするダンスウェア「en4th」。PINO、YOSHIEもまた en4thを以前から愛用しているという。そこで今回は、彼らが最もen4thを着用する風景“ダンスレッスン”に潜入取材。必読デス。
[TDM SHOP]TDM推薦。ダンサー専用スウェットパンツ。− en4th (エンフォース)
[TDM SHOP]
TDM推薦。ダンサー専用スウェットパンツ。− en4th (エンフォース)


Back Number