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TOSHIYA〜 A big banger. 〜
TOSHIYA〜 A big banger. 〜
BANGINオーガナイザーTOSHIYAとの出会いはTooRuに誘われて初回のBANGINに出演させ てもらった2003年。まだ学生だった彼を紹介してもらい、「学生が頑張っているイベントだな」という印象があったのを覚えている。あれから約7年、BANGINは1000人を集客する程の人気イベントに成長した。また、彼はエイベックス・マネジメント株式会社の社員という顔も持ち、アーティスト新人開発とダンサーキャスティングを主な業務にしている等、「ダンスの仕事」でダンサーと社会を繋げる仕事に携わっている。ダンサーがより良い環境でより良い仕事をする為に、ダンサーを理解している彼が携わっている成果は大きい。現在25歳という若さでいろいろな経験を持ち、勢いのあるTOSHIYAのこれから活躍を期待したい。

TOSHIYA田村俊哉

2003年、高校卒業と同時にダンスイベント「BANGIN」を立ち上げる。 BANGINのオーガナイザーという立場以外にも横浜BRIDGE看板イベント「HAPPYMANIA」にスタッフとして従事。そのほか、都内の有名ダンスイベントの数多くのイベントスタッフ等も経験し、イベント運営の根本を学ぶ。 ダンス留まることなく、数多くのイベント運営に携わり、その中で知り合った現在の上司からの誘いを受け、大学4年の5月から現在のエイベックス・マネジメント株式会社(当時エイベックス・エンタテインメント株式会社)にて、アーティストマネージャーとして音楽業界で働き始める。音楽業界で培った知識を生かし、ダンサー登場時にダンサーのプロモーション映像を使用、当時としては斬新な手法が話題となった。現在、BANGINオーガナイザーを行いながらエイベックス・マネジメント株式会社にて新人開発・ダンサーコーディネイトに携わる。

BANGINオーガナイザー、新人開発もやってます。

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今のお仕事をご説明していただけますか?

TOSHIYA

今はエイベックス・マネジメント株式会社の中で、新たなアーティストを見つける新人開発という部署にいます。実際に会って話したり、パフォーマンスを見たり、いろいろ試してみて、その人にアーティストとしての才能が在るかを見極めたり、売り込んできてくれる人もたくさんいるので、その可能性を模索しています。また、ダンスを必要とするアーティストにダンサーをプレゼンしたり、プロモーションビデオやイベント、最近ではテレビ番組などにダンサーをコーディネーションしたりもしています。この2つが今の主な業務ですね。

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新人発掘の業務は、会社として欲しい人材を把握した上で探すのですか、それとも自分の感覚で探すのですか?

TOSHIYA

自分の感覚、会社の必要としている人材の両方を探します。女の子ならビジュアル、歌唱力含めて判断しますし、バンドなら、スタッフ全員で楽曲を聴いて、かっこよければ実際に「ライブを観に行っていみよう」ということになります。いい人材がいれば、上司に「こんなアーティストを見つけてきたので聞いてみてください。」と提案します。上司共々ライブを観に行ってアーティストとしての可能性を感じることが出来れば、うちからデビューする形になります。

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具体的に才能を見極める基準みたいのはあるのでしょうか?

TOSHIYA

僕らは1年後くらいにブレイクするようなものを探しているので、今の流行に流されず、いい意味で人と違う、独創的な、だけど、地に足が着いて、かっこよく見えることですかね。あと、正直、僕も人なので、僕の好みもやっぱり入ってきてしまいます。できるだけそこは入れないようにはしていますが、入っているかどうかの選択肢を迫られれば、入っています (笑)

やりがいのある環境づくり。「ダンサーたち、いいね!」


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ダンサーのコーディネーションに関しては、今どんなダンサーが現場に求められていますか?

TOSHIYA

現場によって違いますが、共通してビジュアルがいいに越したことはないかなと。あとは、不況の影響もあって、コストがかけられない現場もあります。一方で、「そこは妥協したくない!」と、実力のあるダンサーを求めてくる現場もありますが。つまりは、番組の制作チームによって、ダンサーの重要度が本当に違うんです。そのため、“こういうダンサーになれば仕事ができます”という基準もないですね。

ツアーダンサーのキャスティングをして、僕自身もダンサー自身も嬉しいと思ったのが、現場の制作スタッフ、共演するバンドメンバーから「ダンサーたち、いいね!」って言われたことです。まず、そういう声が聞けるコミュニケーションが持てたことが、クルーの一員として認められた証拠。ダンサーも踊り甲斐があるし、現場を好きになってくれたし、やりがいのある環境だとダンサー本人たちも言ってくれました。それはすごく嬉しかったですね。

正直、ダンサーの使い捨てをする現場はあります。1度やって、次もそのメンバーでお願いされるのではなく、制作スケジュールに合うことが優先でメンバーを集めて欲しいと言われたり・・・。

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厳しいことを言えば、それは一度目の現場で、そう思わせられなかったダンサーの力量もあるかもしれませんね。ダンサー自身の価値を上げていった時、アーティストとしてダンサーの地位が確立され、バックアップすべきアーティストとぶつかるのかもしれないとか?どう思いますか?

TOSHIYA

それはないと思います。いいクルーであればあるほど、ダンサーの意識として、“自分たちが後ろで踊れば、100%の力が120%になる!”と思っていて、アーティスト側も“自分の後ろに彼らがいてくれるおかげで、より良さが引き立つ”と、互いにリスペクトしています。両者が理解しあっていれば、アーティスト×アーティストではなく、シンガー×ダンサーの関係がいい意味で線引きができ、そういった現場が、必然的にいい環境を作っています。僕個人としては、ダンサーを基本固定に近い形でやっているアーティストのチームはいいクルーだなと感じます。

ダンスに対する重要度が低い現場では、ものすごくタイトなスケジュールの中 に振付・リハーサルを詰め込まれて、結局アーティストが踊れなくてダンスシーンはカット、となったことがありました。僕の理想としては、“そのクオリティでの振付・リハーサルなら最低コレくらいの時間はかかります”というダンスに関する実情をわかってもらえるような教育、といったらおこがましいですが、ダンスに関する価値観を共有できるようにしたいですね。

突然のマネージャー採用。価値観の変化。 


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入社してどれくらいになりますか?

TOSHIYA

TOSHIYA2010年5月で丸4年になります。きっかけはプライベートでやっているダンスイベントBANGINなんです。僕も高校生の時、ハウスのTooRuさんにダンスを習っていました。高校卒業パーティーで、高校の仲間たちでやったのがBANGINの前身にあたるイベントで、僕がはじめてオーガナイズしたイベントです。周囲からはまたやってほしいと好評で、当時、昼間のダンスイベントが特に横浜にはなかったので、定期的に打つようになったダンスイベントです。2003年の第一回目のゲストはTooRu&SOICHIROでしたね。

その流れで、いろんなイベントを手伝いにいくようになりました。横須賀のイベントで、まだブレイクする前のエイベックスの新人アーティストさんのケア担当をすることになり、僕もイベントを主催していると伝えたら出てくれることになり、BANGIN YOKOHAMAに出てもらいました。

2年後くらいだったと思うのですが、突然電話がかかってきて、「先日の新人アーティストのマネージャーを募集してるんだけど、興味ない?」と言われました。つまりは、エイベックスという会社の人間になるということなので、ものすごくいろんな人に相談して悩みました。

その頃、僕が21歳の1月、大学三年生の冬だったのですが、世間一般的に就職活動をしていました。しかし、試験や面接をことごとく寝坊しまして、両親にも怒られ、これからどうしよう、と思っていた時期だったんです。しかし、当時、イケイケだった僕は、“大学生活の残り1年と3ヶ月、BANGINでもいろんな人脈を広げていれば、俺はなんとかなる!”という根拠のない自信があり、就職活動をやめたんです (笑) 。

その1ヵ月後に、先ほどのマネージャー募集の電話がきました。“これは運命だな”と感じつつも、当時は学生社長などがニュースになっていて、自分も起業しようかなと、若干の社長願望を持ちつつ、おそらくエイベックスに就職すれば、社長願望も薄れる気がして、いろいろ迷いました。結局、入ってみないとわからないと思い、入社を決めました。

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入社してからはどういう印象でしたか?

TOSHIYA

TOSHIYA3年半マネージメントをさせていただいて、大ヒットにも恵まれ、丸2年間休みなしの生活でした。あらゆる現場を経験して、いわゆる大人の事情みたいなものもなんとなくわかったし、あとはクリエイティブの素晴らしさを感じて、価値観が変わりました。テレビで映っていない現場でのセット転換の素晴らしさ、スタッフのプロフェッショナルな動きをたくさん見ることができ、純粋に、感動しました。21歳、しかも在学中はアルバイトとして、紅白歌合戦やレコード大賞など、様々な現場を経験させていただいたことは、業界としても他に例がないことです。

音楽業界の基礎を叩き込まれ、与えられたものを常にこなしていく日々の中で、もっと産み出していくことがしたいと思い、ずっと異動願いを出していたんです。本当は1を2にする作業より0を1にする作業の方がやりたかったんです。そこで、半年前から、新人開発の仕事に異動しました。

History of BANGIN.


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そんなTOSHIYA君のもうひとつの顔、BANGINオーガナイザーについてお聞きしたいのですが、コンセプトから教えてください。

TOSHIYA

TOSHIYAコンセプトはイベント名なんですが、“BIG BANG”(宇宙の大爆発)+“IN”(〜の中に)の造語なんです。僕はこう見えて理系で、当時宇宙に興味がありまして、宇宙の粉塵が集まって新しいものが広がる様子をイベントに掛け合わせたんです。要するに、イベントに来ることによって、刺激し合っていろんなものが産まれればいいなと。つまり、イベントの中でビッグバンが起きればいいなという願いをこめて造語したのがBANGINです。

若い子たちがイベントに出て、ダンスという共通のものを通じて、刺激を受けて、持って帰って消化して、また発表できる場として在れたらいいなと思います。ただ、最近はいい意味でBANGINが大きくなってきていて、「今度出てよ!」「いやいや!BANGINってレベル高いから私たちなんて出れないですよ!」と、若い子たちが出てくれないことがあり、イベントのコンセプトとずれてきています。

確かに名のあるチームが顔をそろえていますが、高校生などでも勢いのあるチームにはどんどん出て欲しいんです。「BANGINに出るから、いろんな人に見てもらえるから、いっぱい練習してきます!」という、その一言がものすごく嬉しいんです。

出演条件としてはノルマももちろんお願いしてはいますが、まずはBANGINに出たい!という気持ちですね。いろんな人のダンスを見て、自分たちと比較して、さらによくなっていける場にして欲しいですね。そういう志を共有できることが、BANGIN本来の存在意義なので。

BANGINの開催場所は横浜CLUB LIZARDから始まり、同じく横浜Bridgeでレギュラー化、その後六本木CLUB M、後のCOLORS、それから渋谷VUENOSへと移っていきました。BANGINスペシャルをO-EASTやCLUB CITTA’でやったりしていますが、根を下ろしたのはこの5箇所ですね。

7年目の想い。ネクストステップとは・・・


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今後のBANGINはどう展開していきたいと思いますか?

TOSHIYA

正直、今それを見つけようとしているところなんです。7年間もやっていると、皆飽きてくると思うので、イベントとしてネクストステップを踏まなければいけない・・・じゃ、それは一体なんだろうなと。他のイベントとの差別化を見出していかなければいこうかなと感じていますが、それがなかなか見つからず、といった感じです。

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イベントは進化しなくちゃいけないんですよね。

TOSHIYA

TOSHIYAそうなんです。ループしたらそこで終わりだと思うのですが、どこにもって行こうかと考えたときに、クラブ内だとできることも限られてくるので・・・。

昔に比べてクラブに遊びに来なくなっている、というかチームそのものが減っている現状を感じます。要因のひとつとして、ダンスイベントが多様化してきたことや、スクールが増えて、発表会に出る機会が増えたことが、若い世代がチームを作らなくなっているではと僕は分析しています。

あとは、ダンサーの性格も変わってきた気がします。僕らが20歳前後の頃は、いい意味で「先生、先輩を超えてやろう!負けない!」といったハングリーな人が多かった。でも、今の20歳前後の子たちからはあまりそういうのがない気がします。ただ、習っていることに満足というか・・・。いい意味で上の世代にたてつく子が減った気がします。

僕のオーガナイザーとしてのネクストステップも、いろんな場所からいいダンサーをピックアップしてきて、つなげる架け橋になることだと思います。一応、自称・ダンサーのことがわかっている業界人、です (笑) 。エイベックスという企業の中にいながら、ダンサーの気持ちになって仕事をお願いするようにしています。皆と話ながら、先頭になって、次のシーンを切り開いていきたいですね。

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ぜひ次のシーンを作っていって欲しいと思います。何かできることがあれば一緒にやりましょう!今日はありがとうございました。
'10/06/21 UPDATE
interview & Photo by AKIKO


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